「お母さん ありがとう」の手紙に、参りました
5月14日は母の日。バレンタインデー当日の男性陣さながら、わが子からの感謝の気持ちに期待して、なんだかソワソワしてしまいますね。
先日、森永製菓の「マリーを使ったガレットサンド」をはじめて買いました。
マリービスケットを使っていると言っても、マリーのしっかりめの固さは影をひそめ、サクッと食べて、口の中でホロホロとやさしく崩れるガレット。間にはさまれた控えめな甘さの練乳クリームとあいまって、上品なあじわい。「なんだかオシャレ~。おいしいわぁ~」といい気分になった私。なにげなくパッケージ裏面をながめると。
「MARIE『お母さん ありがとう』手紙コンクール」なるものの紹介文に、昨年の4~5月に実施されたという、第5回の入賞作品2通の手紙。「こういうの、こそばゆくて、ちょっと苦手なんどけどな」と思いながらも、目を通してみると……
「お母さん ありがとう」の手紙に
MARIE賞
『わたしが ねたあとで おかあさんは いつも ふとんを かけなおしに くるでしょう? そして わたしの あたまも なでなで してくれるでしょ? それが たのしみで いつも ねたふり しているんだよ。おかあさん やさしいね。ありがとう。』
最優秀賞
『お母さんのやさしい「いってらっしゃい」がすき。いつも今日がいい日になりそうな気がしてどんな事もがんばれそうな気がするよ。私が見えなくなるまでずっと見ててくれるから、せ中が温かいよ。お母さんありがとう。』
参りました! はからずも、グッときてしまった私。
いつまでたっても母は母、とても近しい存在、いつも手をさしのべてくれ、感謝する存在。でも大人になるにつれ、薄れていった母への思いもありました。心の奥にかくれたその思いが鮮やかによみがえります。
よみがえる母への思い。「お母さん」って、たしかにこんな存在だった。
眠っている自分の頭を、母になでてもらうのが私も好きでした。私の場合、明け方の眠りが浅くなるころ、頭をなでる母の手の温かさを感じたものです。夢心地で感じる、母の手のやさしさは、私になんとも言えない幸福感を運んできました。「自分はしっかり守られている」という、この上ない安らぎだったような気がします。
そのくせ、意識がしっかり目覚めたあとも、目をあけられなかった……。その空気がなんとなく”ひそやか”な感じがして、母の深い思いがただよっている気がして、やっぱり私も寝たふりを決めこんでいました。
たしかに「お母さんがすべて」という時期があったなぁ、と思います。母がほほえむだけで、本当に「どんなこともきっと大丈夫」という安心感と勇気を手に入れられました。(母に怒られたときは、その理由がどれほど理不尽なものでも、全身でおびえました。)幼いころの私にとって、母は万能で、まちがいなく最愛の人でした。
でも、成長し、自立していくなかで、母は母でありながら、ただの一人の人間であることを知るようになります。尊敬すべきところもあれば、ダメなところもある一人の人なのだと。だから私は、幼い子がお母さんをどんな風に見るのか、すっかり忘れてしまっていました。
私にも5歳と2歳の息子がいます。手紙を読み、幼いころの母への気持ちが、鮮やかに思い出されて「私も息子たちにそう見られているのかしら?」と思うと、こそばゆさとすこしの戸惑いと、そして、やっぱり嬉しさがわきおこります。あのころの私にとっての母と同じように、きっと私も「お母さん」なんだなぁ。
そんな風に思ってくれるなら、息子たちの期待にそえるようにーー
「よし! 今日も お母さんを がんばろう!」
過去の入賞作品もまぶしい
「MARIE『お母さん ありがとう』手紙コンクール」は、森永製菓が2012年より開始。子どもたちが、ふだん言えないお母さんへの感謝の気持ちを100文字に込めて応募しています。第1~4回の入賞作も、子どもならではの視点がまぶしい作品ばかり。ぜひご覧ください。
文・福本 福子