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親の離婚を機に考える。大切にしたい「期間限定の」家族時間

新生活が始まる季節になると、毎年自分が上京したときのことを思い出します。

進学先を東京に選び、18歳で地方から上京してきました。
今思うと、まだ子どもだった私の上京を気持ちよく送り出してくれた両親に、感謝はもちろん、「あんなに未熟だった私をよく出してくれたなあ」と感心してしまいます。
家を出ることに、不安よりも期待が大きくて、一人で暮らせるくらいの大人に近付いたのだと嬉しかったことを思い出します。

大切にしたい「期間限定の」家族時間
月日は経ち、妹も上京、私も妹も東京で就職することになりました。
しかしその頃から……。

大切にしたい「期間限定の」家族時間

親の離婚は予想以上に苦しくそして悲しかったです。母はしばらくの間、別居生活と離婚後の生活を”私と妹宅”で送っていました。お互い口には出さないけれど、行き場のない感情が三人のあいだで渦巻きギスギスしていた記憶があります。

「いつでも帰れる」と思っていた場所がなくなり、なんとなく思い描いていた、将来結婚しても子どもができても、実家に帰れば父と母がいる。……という光景は叶わなくなってしまいました。

大切にしたい「期間限定の」家族時間

子どもが誕生日を迎えるたび、あと何年この四人で生活できるだろうと意識しています。
両親のように離婚を考えているわけではないですが、いずれ子どもたちはこの家から巣立っていきます。
その時を考えると寂しくて「ずっといて欲しい」という思いが心に浮かんできます。
そんなエゴを自制し、子どもたちの選択を尊重できるような人間に、私も成長して行かねばと思います。

まだ少し先の話を、しんみりと考えすぎかもしれませんが、
自分の過去の辛い経験が”いまの家族”との幸せにつなげられたらいいなと思うのです。

脚本・rollingdell 作画・しげる

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