「すごく寂しかった……」。懸命に働く「母のうしろ姿」を見て感じたことは 【衆議院議員・下村博文】
「9歳の時に父親を事故で亡くし、母子家庭で育ちました。母は朝、畑と田んぼの仕事をして、昼間パートに行き、帰ってきたら、また畑と田んぼの仕事をするという毎日。私はいつも母の働く姿しか見たことがなかった」。そう語るのは、元文部科学大臣と、教育再生大臣を兼任した下村博文先生。懸命に働く母親の姿は、当時どう見えていたのでしょうか。
昼夜を問わず働き続けていた母の姿
私は、幼いころから母子家庭で育ちました。父は、私が9歳の時に事故で亡くなりました。当時、母は32歳。弟が2人いて、一人は5歳、もう一人はまだ1歳でした。父が亡くなったことで、母の実家に戻り、昼間はおばあちゃんに面倒をみてもらいました。
母は朝、畑と田んぼの仕事をして、昼間パートに行き、帰ってきたら、また畑と田んぼの仕事をするという感じで、私はいつも母の働く姿しか見たことがなかったのです。本当に朝から晩まで生活することでいっぱいで、働いて働いて働き続けていました。一生懸命に働いて子どもたちを食わしていかなければいけない。そのことで頭がいっぱいだったと思います。日本人はとても勤勉だけど、母はその典型的な人でした。
勉強をがんばって、母にほめられたい
父が亡くなり、母も家にいない。当時は、寂しかったです。すごく寂しかった。
そして、家の中でも外でも、毎日のように働く母親の姿を見ているわけです。「お母さんは一生懸命がんばっているんだな」ということも子どもながらに感じていました。母は、毎日仕事をして余裕がなかったから、子どもの成績をみている余裕もありませんでした。なので、成績について母から注意されることはなかったです。当時は「勉強をがんばることで、いつかお母さんにほめてもらいたい」。そんな気持ちがありましたね。
母子家庭だから経済的に余裕がなく、欲しい物が言いづらかった
私は本を読んでみたいと思っていたんですけど、家には本が1冊もありませんでした。うちは母子家庭で、お金の余裕もなくて、本が欲しいと言いだせなかったのです。ある日、風邪をひいて学校を休んだことがありました。その時に普段は厳しい母が「何か欲しいものある?」と私に聞いてきたのです。私は家にお金がないのが分かっていたので「何もいらない」と母に伝えました。でも、やっぱり本が欲しい気持ちが止められず、一言そう伝えました。
苦労しているのは、自分だけじゃないということを本から知った
その時に母が買ってきてくれたのが、10名ほどの話が書かれている偉人伝でした。今でいうエジソンとかリンカーンなどの偉人伝で、本がボロボロになるくらい、何回も、何回も読んだことを記憶しています。初めて母が自分にくれたプレゼントだったこともあり、とても嬉しかったです。母としては、私が風邪をひいて寝込んでいるから、りんごなどの果物を欲しがると思っていたことでしょう。でも病気の状況でさえ「本が欲しい」といったから、ちょっと無理してでも本を買ってきてくれたのだと思います。
本を読んでからは「自分以外にも子どもの頃から苦労している人は世の中にいっぱいいる」ということを知り、とても励まされたことを覚えています。以来、小学校の図書館に行っては偉人伝を読みました。それをキッカケに本がすごく好きになったことを覚えています。週末は学校の図書館から本を借りられるだけ借りてきて、本を読みふける毎日。小学校を卒業するときには、小さな学校の図書館の3分の2の本を読み終わっていました。
母としては、子どもに本を読ませて読書好きにしようと思ったわけではありません。しかし、結果としてこの体験が刺激になり、私は読書が大好きになりました。
本への「没頭体験」が今の自分を育ててくれた
もともと本が好きだったのかといわれれば、そういうわけではなかったかもしれません。ただ「本を読んでみたい」という気持ちはどこかにあったのでしょうね。さきほどもお話したように、うちは母子家庭だったから、本を買って家で読むことは経済的に余裕がないと思っていたのです。今思えば、本を読むことで母のいない寂しさを紛らわそうとしていたのかもしれません。しかし読書に没頭した体験はとてもいい思い出です。
もし、これを読んでいるお母さんで「自分が働くことで子どもに寂しい思いをさせているんじゃないか」という方がいたら、お母さんの働いている姿を子どもに見せてあげるといいかもしれませんね。子どもは一生懸命働く親の姿を、誇りに思うのです。そして子ども心に「お母さんが頑張っているから、自分も頑張ろう」と思うのです。
取材、文・長瀬由利子 編集・北川麻耶