何のために診断名をつけるの?わが子の発達障害「アスペルガー症候群」から、私が学んだこと
「なんだかこの子、他の子と違う」私が最初に娘の発達に疑問を感じたのは、1歳を過ぎたころでした。目線が合わない、自分が興味がないと声をかけても何の反応もない…。そんなところに、気持ちの通い合いが乏しい感じを持ちました。でも、夫や友人は「個性だよ」「こういう子、他にもいるよ」と、とりあってくれません。もやもやした不安な気持ちを胸にしまいこみ、育てるしかありませんでした。普通ってなに? 個性ってなんだろう? 診断名って必要なの? 単なるレッテル貼りにならない? ずっと自問自答を繰り返してきました。そんな悩みの先に私が見つけた、小さな、でも確かなことについてお話します。
“自分らしく”成長してくれたら、それでいい
幼稚園入園を控えた3歳、私は娘の発達を専門医に診てもらおうと考えました。集団生活に娘がなじめるのか不安が大きかったからです。入園前にきちんと診断を受けておいた方が、適切なサポートが受けられてよいのではないかと思いました。しかし、夫から「たとえ診断がついても、それで娘が変わるわけではない。娘は娘らしく成長してくれればそれでよいと思う。お母さんは娘を障害児にしたいの?」と言われ、断念しました。
幸いにも、幼稚園では、先生方の温かい指導のもとで過ごすことができました。娘の成長する姿をみていると、次第に「発達障害かどうかは関係ないのでは」、と考えるようになりました。「大切なのはこの子が自分らしく生きていけること。発達障害であろうとなかろうと関係ない」「“ちょっと個性的な女の子”として、成長してくれたらそれでよい」、そう思うようになりました。小学校入学を目前にした6歳、不安はありましたが、診断は受けずに小学校へ入学する選択をしました。
娘を助けたい。「死にたい」と言われて診断を受けることに
娘が学校を嫌がるようになったのは、小学2年生の5月頃のこと。日曜日になると翌日の学校を嫌がってイライラしたり、大泣きをするようになりました。でも、そんなことは誰にでもあることと思い、あまり気にしないようにしていました。しかし、娘のイライラは次第にひどくなり、学校で先生やお友達にちょっと注意されただけでも「全部、私が悪いんでしょ! 私がいなくなればいいんでしょ!」と、泣き叫び、家でも「私はダメな子。死んでしまいたい」と口にするようになりました。
そんな娘の姿を見ているうちに「このままではいけない。もう“個性”で済ませられるような状況ではない」と、強く感じました。夫は「お母さんがそれで納得するのなら、お母さんのために診断を受けてみよう。」という意見でしたが、もう私に迷いはありませんでした。診断の結果はアスペルガー症候群でした。
理解しているつもりだった。自分の本当の気持ちに気づく
私は、娘が診断を受けるまで、「この子は発達障害かも」と思う一方で「自分らしく成長してくれれば良い」と、考えてきました。ですが、心の奥底には「他の子と同じようにしてほしい」「どうか、普通になりますように」という思いがあったことに気づきました。そんな私の言動が知らず知らずのうちに娘を追いつめていたのかもしれません。診断を受け、担任の先生など、娘に深く関わってくださる人には、包み隠さず内容を伝えました。そして、アスペルガー症候群の特性を踏まえた接し方を心がけてゆくうちに、娘は落ち着いた日常生活を取り戻してきました。
診断名よりも大切なこと
娘にアスペルガー症候群という診断がついても、夫は以前となにも変わらずに、温かく接しています。そんな姿を見ていると、「この子にとって本当に必要なのは、診断名ではない」、ということに気づかされます。大切なのは、“周りの人の正しい理解”や、“愛情のある適切な対応”であって、診断名はそのための手がかりの一つに過ぎないのです。娘が自分らしく生きていけるために、私ができることはなんでしょう。それは、“ありのまま”の娘を素直に受け止めてゆくことなのではないかと思うのです。
文・編集部 イラスト・ももいろななえ