栃木県矢板市・齋藤淳一郎市長 第4回「知的障がいを持つ子の父。親亡き後の不安を解消するために」
前回からの続き。妊婦一人当たりに占める保健師の数が栃木県内で最も多く、妊婦期から就学期まで途切れることのない子育て支援を実践する矢板市。そのトップに立つ齋藤淳一郎市長は、3人のお子さんをもつパパでもあります。インタビュー最終回では、齋藤市長ご自身の子育てへの思いをお聞きしました。
第3子誕生で育児休業を取得。当時は珍しい市長の育休だった
――齋藤市長には3人のお子さんがいらっしゃいますが、子育てに関わる機会は多いのでしょうか?
齋藤淳一郎市長(以下、齋藤市長):第3子が生まれるときに、3日間の育児休業を取得しました。市長が育児休業をとるのは珍しく、栃木県内でも初めてのことでした。当時は長女が小学3年生、次女が幼稚園の年長。それまで公務を優先して子育てという子育てはできずにいたことも育児休業を取得する後押しになりました。
――育児休業中は、どんなことをされていたのでしょうか?
齋藤市長:生まれたばかりの赤ちゃんは妻に任せる部分が多かったので、私は掃除や洗濯などの家事をしていました。もちろん長女や次女もいますから、朝の準備や帰宅してからのお世話もあって、想像以上に大変だということがわかりました。
――市長自ら育児休業を取ったことで、何か変化はありましたか?
齋藤市長:私自身が育児休業を取ることで、男性職員も育児休業を取りやすくなりました。現在も、1年間の育児休業をとって育児に専念している職員がいます。
また出産は突然起こる病気とは違ってある程度予定が立てられますから、仕事を他の職員に任せる段取りも組みやすいと思います。私の場合も妻の出産のタイミングがわかっていたので、それに合わせて時間をかけて調整ができました。
自身の経験から障がいのある子への支援にも力を入れたい
――現在、子育ての苦労を感じることはありますか?
齋藤市長:中学2年の長女は知的障がいを伴う発達障がいの診断を受けて、現在特別支援学校の寄宿舎に入っています。矢板市が行った「こどもまんなか応援サポーター」宣言は、全ての子どもを対象にした支援をしていくことが含まれています。これに例外はなく、当然障がい児も同じなんですね。障がいを持っているお子さんは私の子どもだけではありませんから、矢板市としてどんな支援ができるのかを考えていかなければなりません。とはいえ障がいの程度によって支援の仕方は全く違ってきます。教育と福祉の連携だけでなく、就学前のお子さんが通える「あおりんご教室」の活用、小学校に入学してからのサポートなど、柔軟な支援が必要だろうと思います。「考えていきましょう」と言葉にしただけでは、綺麗事になりかねません。そうならないために、具体的に何をするのかが今後の矢板市の課題であると考えています。
――市長として考えている具体策はありますか?
齋藤市長:障がいを持つ子どもについては、親亡き後の介護がニュースでも取り上げられるようになりました。ここ数年話題にされることが増えましたが、昔も障がいを持った子どもはいたはずです。体が弱いなどで親よりも先に亡くなることが多く、今のように社会の課題にはならなかったのかもしれません。しかし現在は医療も発達し、親が先に亡くなるケースの方も珍しくなくなりました。残された子どもがどう生きていくのか。これは障がいを抱える子どもをもつ家庭にとっては大きな問題であり、不安材料でもあります。
矢板市は地域の関わりがあることが強みの自治体です。親が亡くなった後、公的な支援を受けるだけでなく、子どものころから地域全体で支援してきたことが実を結び、生涯にわたってサポートを受けられるような環境づくりをしていきたい、と考えています。
(編集後記)
矢板市の子育て支援について、4回にわたって齋藤市長にお聞きしました。子育て支援はそれぞれの自治体で行われ、独自の政策など「色」を出せるところなのかもしれません。お互いにいいところはどんどん真似していくと、一層子育てがしやすい社会になるのではないでしょうか。
ママの子育ては続きます。そして子どもたちの成長も待ってはくれません。矢板市に今後もよりよい子育て支援が生まれるのではないかな。そう思えるようなインタビューでした。
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文・川崎さちえ 編集・すずらん イラスト・crono