【コラム:佐々木健介 いつだって家族がいちばん!】第2回 あぁ、この人俺の奥さんになる人だ
ーお互いのことを知らずに出会ったということでしたが、健介さんと奥さま 北斗晶さんの出会いについて教えてください。
僕たちが出会ったのは、海外で行われた試合だったんです。
試合の会場ではお互いを見ていなくて、その後の食事会のときにチャコが僕の隣に座ったのが出会いです。
ーそこで、恋に落ちたんですか?
はい(笑)。いや、恋に落ちたというのは、少し表現が違うかもしれないです。
男性なら誰にでもあると思うんですが、独身時代の僕にも“理想の奥さん像”があったんです。「髪が長くて、おしとやかで俺の言うことを聞いてくれる人」というのが(笑)。
けっこうしっかりとした理想像だったのに、チャコがその日僕の隣に座って挨拶をした瞬間に、「あぁ、この人俺の奥さんになる人だ」と思ったんですよ。
理想像とは全然違うのに(笑)。
しかも、その日初めて会ったばかりで、まだ名前も知らないし、話をしたこともないのに、なぜかそう直感的に思っちゃったんです。
ー隣に座った瞬間に「タイプだなぁ」と思ったのではなくですか?
……。いやっ……(笑)。
髪も長くなかったし、女子プロレスラーだったから、おしとやかとはかけ離れてるじゃないですか(笑)。
でも、直観的にそう思ったんですよ。
あの気持ちは、今でもうまく表現できないんです。
自分でも「あれ? 俺どうしちゃったんだろう? あれ? あれ? 酔っ払ったかな?」と思ったくらい(笑)。
ーそこで恋に落ちて、猛アタックしたんですか?
猛アタック……はしてないですね。
「好きだ! 好きだ!」というのではなく、出会った瞬間に自分の中では「俺と一緒になる人なんだ」と勝手に思い込んでるから、話し方も接し方もすごく自然だったんです。
出会ったのが海外だったので、帰国した後は毎日電話をしてたんですけど、帰国してからチャコの本名を知ったくらい、何も知らなかった(笑)。
「北斗晶って本名ですか?」と聞いて、「そんなわけねぇだろ!」と言われたことがあります(笑)。
「プロレスに入ったのはいつですか?」とか、そういう話を日本に帰ってから聞いたんですよ。
ー出会われたのが1995年4月26日で、入籍がその40日後の6月4日ですよね?
出会いから入籍までが短く、超スピード婚で驚きました。
普通はそうですよね。
でも、何度も言っちゃいますが、僕は出会った瞬間に「俺の奥さんになる人だ」と思い込んでいるから、スピード婚という感じがしなかったんですよ。
「ようやく出会えた」くらいの気持ちだった気がします。
ーその短期間のなかで、プロポーズはどんな風にされたんですか?
うちには、チャコが認識してるプロポーズと、僕がプロポーズのつもりで言った言葉の2つのプロポーズがあるんです。
1つは、毎日欠かさずしていた電話で、僕が「初めて会ったとき、横に座ったでしょ? あのとき、俺の嫁さんになると思ったんだ」と言ったのをチャコはプロポーズだと思ったみたい。
僕的には、家にご飯を作りに来てくれたときに「何度生まれ変わっても一緒になろう」と言ったのがプロポーズだったから、2つのプロポーズの思い出があるんです。
ーすごくステキなお話ですね。6月4日を入籍日に選ばれたのには、何か理由があるんですか?
「その日が良いかなぁ」と思ったからですね。特別な意味はないけど、その日にしたかったんです(笑)。
その頃、僕は地方での試合が続いていて、前日の試合が終わって夜行電車で埼玉に戻り、2人で区役所に行って婚姻届を出して、その足で翌日の試合会場に向かったんですよ。
ー出会った瞬間に運命を感じた奥さまと婚姻届を出したときは、どんなお気持ちになりましたか?
気持ちというか、言葉では表せない気持ちになって、それはもちろん、嬉しいし、感動しているし、感無量なんだけど、それよりも何よりもずっと身体がしびれてました。
あのとき、「本当に一緒になったんだなぁ」と実感したのかな。
身体がしびれていたことを、すごく覚えてます。
取材、文・上原かほり 撮影・chiai
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