昭和の夏休みは毎日ワクワクしていた!スマホがなくても楽しめたあのころが懐かしい
子どもが夏休みになるといつもより家事に追われたり、宿題の心配をしたりしますよね。なかには「夏休みは楽しくない!」と感じるママもいるのではないでしょうか。しかしママ自身が子どもだったころは「夏休みがずっと続いたらいいな」と思っていたかもしれませんね。ママスタコミュニティには、子ども時代の夏休みを語り合うこんな投稿が寄せられました。
『ママたちが子どもの頃の夏休み。どんな風景、どんなことを思い出す? 眠いなかのラジオ体操、乳酸飲料の原液の量、どっちが多いかでもめたきょうだいげんか、扇風機前で声を出して「あ”~~」、夏まつりで買ったリンゴ飴。ノスタルジーに浸りたい』
投稿には昭和生まれで同世代のママたちから、次々と思い出が寄せられました。
夏休みの朝はラジオ体操からはじまる!
地域の子どもたちが公園や校庭、神社の境内などに集まって行ったラジオ体操。朝6時半からはじまるラジオ放送に合わせて、寝ぼけまなこで体操をしていましたよね。
『あんなに朝早くからよく行っていたな。早起きするから午前が長すぎた。昼まで何をして過ごしていたんだろう?』
『ラジオ体操から1日がはじまる。友だちに会って、遊ぶ約束をして家に帰る。急いで朝ご飯を食べて遊びに行く。あのころは外に出たり公園に行ったりすれば、誰かしら遊んでいた。楽しかったなぁ』
『カードにハンコを押したくて。小学6年生が押すことになっていたから、6年生になったときにはうれしかったな』
『ラジオ体操が終わったら、子ども会対抗のドッジボール大会に向けて、ドッジボールの練習をしていた』
筆者も夏休みには、ラジオ体操に通っていました。「なんで学校に行く日より早く起きなきゃいけないの?」と思いながら、ボーッと体操していたのを思い出します。夏休み恒例の行事だったかもしれません。
夏といえばプール!こんがり小麦色を通り越して真っ黒に日焼け
『学校のプールに行っていたなぁ。男の子は青、女の子は赤の巾着みたいな水泳バッグを足で蹴りながら。学校までワイワイしゃべりながら歩いた』
『セミの声を聞きながら、麦わら帽子をかぶって学校のプールに通った。学校のプールに行けば、友だちに会える。夏休みが終わるころには真っ黒に日焼け』
『毎日のように町営プールに行って、帰り道は駄菓子屋さんで1本30円の棒アイスを買って食べる』
『学校のプールで泳いだ。耳に水が入ったら、プールサイドのコンクリートに耳をくっつけたな。今だったらやけどしそう』
『エアコンなんてつけなくても朝夕の涼しい時間に宿題をやって、昼間は友だちと自転車で市民プールや学校のプールに行った』
『毎日学校のプールに行って、みんな真っ黒に日焼けしていた。プールから帰ってゴロンとなると、いつのまにか夕食の時間になっていた。今思うと母親に感謝だわ』
ウォータースライダーがなくても、楽しかった近所のプール。地域によっては小学校のプール開放もあり、連日プールに通っていたなんてママもいるかもしれませんね。
暑くてもゾワっと身の毛がよだったあのテレビ番組
『夏休みといえば”あなたの知らない世界”。怖くて隣の部屋からこっそり見ていた』
『いとこたちと部屋を暗くして見ていたわ』
『お昼に袋ラーメンを食べながら見た。醤油ラーメンの匂いを嗅ぐと思い出す夏の風景』
コメントにたびたび登場する当時、大人気だったテレビ番組。視聴者から寄せられた恐怖の体験などが、ドラマ仕立てで再現されている、夏の定番ともいえるテレビ番組でしたね。当時の視聴率はどのくらいだったのでしょうか?
夏休みは祖父母の家に長期滞在
『夏休みはおばあちゃん家にずっといた。井戸で冷やしたトマトやキュウリ。おやつは茹でたトウモロコシか、冷やしたスイカだった。麦茶には砂糖が入っていたなぁ』
『おばあちゃん家に行って、周りを気にすることなく思いっきり花火。おじいちゃんにセミ捕り棒を作ってもらって、みんなでセミ捕り。缶ポックリも作ってくれたな』
『おばあちゃん家の2階から、遠くに海が見える部屋。大好きだったなぁ。蚊取り線香、仏壇の線香の香り、踏切の音、かすかに聞こえる汽笛。どれも懐かしい』
『おじいちゃん家に泊まりにいくと、夜は蚊帳(かや)を出してくれた。蚊帳の中にホタルを入れて、いとこたちとキャーキャー騒いだ。近所に同じくらいの年の子がたくさんいたから、朝から晩までずっと外で遊んでいた。自然と大きい子が小さい子の面倒を見て。大人にジャマされない子どもだけの世界があって、楽しかったなぁ』
『夏休みといえば、おばあちゃん家だなぁ。見知らぬ地元の子たちとラジオ体操、神社の夏まつり、花火にバーベキュー、町営プール。夕方になるとおばあちゃんと母親が、夕ご飯の支度をしているそばで宿題をやった。終戦の日には町に流れるサイレンを聞きながら黙祷する。すべてが懐かしい』
きょうだいだけで電車や新幹線を乗り継いで祖父母の家に行ったり、親戚の子や名前も知らない地元の子たちと遊んだりしたママもいるでしょう。のびのびと過ごさせてくれた優しい祖父母の記憶は、いくつになっても忘れられない大切な思い出ですね。
毎日遊び続けた夏休み。ママが子どもだったころは、何をして遊んでいた?
『裏山に近所の子どもたちと、ダンボールやビニールテープでを使って秘密基地を作ったな。子どもが7人ほど寝そべっていられるくらいの広さの秘密基地。あとしかけを置いて、カブトムシを捕った。畑にトウモロコシやスイカを採りに行って、軽トラックの荷台に野菜と一緒に乗せてもらった』
『扇風機で遊んだ。ワンピースを着て扇風機の前に立つと、ワンピースがフワリとなってお姫さま気分。扇風機の前で「われわれは宇宙人だ」とか「あ”ーーー」とか変な声を出す』
『川で魚やザリガニを捕った。近くの神社では虫捕り。縁側に座って、スイカを食べた。夕方になるとヒグラシが鳴いていたなぁ』
『玄関先で親が打ち水をはじめたら、近寄って水をジャンプしてよけて遊んだ。夏まつりでヒヨコ釣りをしてヒヨコをもらった。家で飼えないから親にナイショで、ガレージの隅にダンボールに入れて飼っていた。数日後、ヒヨコはダンボールから飛び出し、消えていた』
『分かれ道で棒を立てて倒す。棒が倒れた方向に進む探検ごっこ。いつのまにか知らない街まで行ってしまって、帰りに焦ったことがあったな。でもお金も持っていないのに、なぜか帰れていた』
昭和時代の夏休みを過ごしたママたち。自然のなかでカラダを動かして、思いきり遊んでいたようですね。「あのころが懐かしいなぁ」とときどき思い出しているママもいるかもしれませんね。
昭和世代のママたちが子どもだったころの夏休みは、スマートフォンもパソコンも電子ゲームもありませんでした。しかし風や音、匂いを感じながら豊かな自然に囲まれ、友だちと遊びまくった夏休みだったように思います。感染症や熱中症などの心配があり、子どもが外で遊ぶ時間帯や場所にも気をつかう現代。あのころの私たちのようにというワケにはいきませんが、子どもだから感じられるワクワクやドキドキを、少しでも体験できる夏休みを過ごさせてあげたいですね。
文・間宮陽子 編集・藤まゆ花
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