「死んで”無”になるのが怖い」。ママたちの多様な”死生観”をのぞく
唐突な質問ですが……みなさんは「死」について思いを巡らせることって、ありますか?
ママスタコミュニティでは、あるひとりのママから「死」への恐怖が投稿されました。
『子どもみたいだけど、死ぬのが怖い。痛みの恐怖はない。ただただ、”自分の意識が無くなる”のが怖くて仕方がない。
小さいころ母に頬をなでられるのが好きだったこと、思春期の殴り合いのケンカ、旦那の元カノに嫉妬していた若さ、プロポーズの指輪、子どもを愛しすぎて涙したこと、入園してママと離れたくないと泣く子どもを引き剥がしたこと……。「そういう”私”を構成する記憶が無くなる。私の意識が終わる」と思うと、冷や汗が出る。死ぬこと自体より、「無」になることの恐怖。(死後の世界は信じられないたちです。)死期が近づくにつれ、死を自然と受け入れられるようになるのかな? 浸ってる思春期みたいで、なかなかこんな話できないけど、夜中に怖くなって涙が出るときがある』
「死」は、生きとし生ける者の宿命。まだ若いママたちも関心度は高いようで、数多くの、そして濃い内容の投稿が寄せられました。
死について、投稿者のママに共感する投稿、あるいは別のとらえ方をするコメント……。今回は重みのあるテーマで、ママたちの多種多様な死生観についてお送りしていきたいと思います。
共感。「”死=無”としか思えず、恐怖に震える」
死の恐怖には、痛み苦しみの恐怖、大切な人と別れる恐怖など、人それぞれの恐怖が存在するかと思います。まずは、投稿者のママが語るように、「自分の意識の喪失」を何よりも怖れるママたちのコメントをのぞいていきます。
『分かる。寝る前とかそういうことを考えて、ブルーになって泣きそうになるときがある』
『この場合の恐怖の本質は、自分が死んだあとの子どもの心配とかじゃないんだよね。(もちろんその心配はあるけど。)ただの物質となり、焼かれ、大地に帰る……ここまではいい。「じゃ、私の意識はどこへ行ってしまうの!?」っていう恐怖だよね。「意識の消滅」こそ、「自分の消滅」に思える。こんなに色々なことがあって、泥臭く生きているのに、本当に何もかも無くなってしまうの? っていう不安だよね。よく分かる』
『同感です。私は物心ついたときから恐ろしかった。投稿者さんや私の感じ方だと、「自分」が死ぬということは、自分を取り巻く世界の終わりを意味するんです。もちろん、残される人たちがどうでもいいわけではないです。ただ、その人たちを大切に思う気持ちや、自分より先に亡くなった方への思い、そうしたものすべてが無くなってしまう。そもそも、悲しむとか懐かしがるとかを感じられない、何もない世界……いや、その世界すら無いところです。「無」ですから。その自分の意識のあまりの儚さに、絶望するしかなく、とてつもなく怖くなるんです。そっくりそのまま、「自分」が無くなることに』
感性豊かで哲学的な考え方に思えますね。ビビリの筆者は、死と言えばまず苦しみの恐怖が先立ちました。でも、こうした投稿を読む中で、鋭く繊細な感受性をもっていたであろう幼いころ、身体から離れた自分の”精神単体”を意識した記憶がフッと蘇りました。(筆者が感じたのは、恐怖心ではなく「とても不思議な感じがする」という違和感でしたが。)投稿者さんのような考え方をするママも、大勢いらっしゃるかもしれませんね。
怖くない。「一度死にかけたから」・「人は誰でも死ぬのだから」
筆者としては驚きだったのが、死は怖くないと告白するママが案外たくさんいたこと。そうしたママたちの死への思いを見ていきましょう。
『私は、キツイと思って生きているから、(死に方にもよるけど)「お疲れさま! やっと終わる!」って思えそう』
『私は一度死にかけているから、怖くないや』
『私はもうずっと死ぬのが怖くない。中学のときイジメを受けて死を意識してから、死はずっと身近なもの。つねに死を意識してる』
『正直投稿者さんの気持ち、分からないな。記憶が無くなって「無」の状態であの世に行けるなんて、すごく幸せなことだと思う』
『まったく怖くないよ。生まれたんだ。生きて、死ぬ。今生きている世界中の人間より、死んだ人間の方がはるかに多い。亡くなった人たちはみんなすごいと思う』
ママ自身の壮絶な体験、先人の死や自然の摂理を認識し受容する思想……死が怖くないと語るママたちの中にも、さまざまな死生観があり、興味深いですね。
死は身近なもの。「大切な人を亡くしたから」
死が怖くないという意見の中でも、とくに「大切な人を亡くすことにより、死が近しいものになる」という経験談はひときわ多く、筆者としても現実味を強く感じました。
『身内のお葬式に参列するたび、死への恐怖は薄くなっていく気がする』
『私も死が怖かった。でも先に母が、次に父が他界してから恐怖はない。「早く呼んで」と思うことさえある』
『両親を早くに亡くして、焼かれて灰になったのを見てから、いつか私もそうなって……でも残された家族は、私がいない中でも普通に生活していくんだということを、身をもって経験した。それで死が怖くなくなった』
『私は二度、流産しています。天国にわが子がいると思うと、怖くなくなりました。生まれてきてくれた子どもたちを育て上げたら、次は天国のわが子のお世話をしたいと思っています。
流産した後、空を見たら泣けてきたんです。それまで天国とか信じてなかったけど、あるような気がして。「あぁ、あそこに行ったんだな」と思いました。あってほしいと思ったの。そうしたら、天国で会えるじゃない?』
新鮮な視点。ママたちの多彩な死生観
そして最後は、これまでご紹介してきた死生観とはひとあじ違う、新鮮に感じられるような視点からの投稿をご覧ください。
『死んでも「無」にはならないよ。生きて見えるものだけがすべてではないさ』
『私は「永遠に死ねない」と考える方が怖い。有り難いことに、生き物の死亡率は100%だけど』
『そもそも死って、そういう不安から解放されるものだと思ってる。死ぬ瞬間までは不安でも、そのときを迎えたら穏やかに本当の「無」になれる………私はそう信じてる』
『過去に生きた人たちも、死の恐怖に耐えられなかったからこそ、宗教が生まれたのだと私は考えています。手を合わすなどをすることで、恐怖を和らげる。信じるというのは、ある種の快楽らしいですよ。でも、いくつかのコメントを見るかぎり投稿者さんは、信仰の構図を上から眺めてしまい、恐怖が増しているような感じかな? きっと歳をとるにつれて、感覚が鈍く、図太くなっていきますよ』
『私は大事な人を3人看取り、考え方が変化してきました。とくに祖母は在宅介護で、亡くなる2日前まで話をしてた。 最期は家族が談笑している中、逝ってしまった。
人は必ず死ぬけど、死ぬときにどんな状態でありたいかを考えると、少しは前向きになれるかもしれない。 死について考えるのは悪いことじゃないし、無駄でもない。「生」を感じて、今を無くしたくないほど幸せな証だと思うから。 答えは出ないけど、それでいいんだと思う』
「死」についてのママたちの深い話、いかがでしたでしょうか? ちなみに、投稿者のママは最後のふたつ、「歳をとると、感覚が鈍く図太くなる」、「大切な人を3人看取った」という投稿により、恐怖が和らいだと同時に、自分と同じ恐れを抱くママがいる事実が救いになったと綴っています。
おそらく正解は存在しないのに(あるいは正解が存在しないからこそ?)、人が逃れることのできない「死」に対しては、ついさまざまな思いを巡らせてしまいますね。あなたの死生観は、どのようなものですか?
文・福本 福子 編集・山内ウェンディ
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