きっとわが子の”イヤイヤ”も愛おしくなる。ヨシタケシンスケさんの絵本『もう ぬげない』
絵本の情報誌「MOE(モエ)」の2017年2月号にて、「MOE絵本屋さん大賞2016」が発表されていました。
堂々の第1位に輝いたのは、ヨシタケシンスケさん作の『もう ぬげない』です。ヨシタケさんといえば、日常のあるある話や想像力豊かな子どもの話を、独自の視点で、印象深いタッチで描く、人気の作家さん。受賞コメントがまた興味深いのです。
『実際、子どもってそうじゃないですか。すぐあきらめるし、自分の力ではどうにもならなくて、100%お母さんに助けてもらう。そんなふうに志が低い、意志が弱い子でも主人公になれる、それが1つのメッセージになるかと思ったんです。』
コメントを読んで「この絵本は読むしかない!」と思いました。だって、現実味ありそうなところが魅惑的! ヨシタケさんが言うように、子どもは確かにそういうものです。かっこいい物語もいいけれど、現実はそう甘くない。
さっそく『もう ぬげない』を手にとってみました。
ヨシタケシンスケさんの絵本『もう ぬげない』
『ぼくのふくが ひっかかって ぬげなくなって、もう どのくらい たったのかしら。』
『ぼくは「じぶんで ぬぐ!」って いったのに、おかあさんが いそいで ぬがそうとするから ひっかかっちゃったんだ。』
主人公「ぼく」の、こんなつぶやきで始まる『もうぬげない』。この光景にデジャヴュを感じるママも多いかもしれませんね。
いろいろ試してみたけれど、どうやったって脱げない服。ふと浮かんだ考えは、
『ぼくは このまま おとなに なるのかな。』
そこからお話は「ぼく」のめくるめく想像の世界へ! 「もうおしまいだ」となったあとの絶妙な”あるある”の最後は、クスリと笑みをさそってくれました。
「ぼく」ほどでないにしても、子どもはこんな風に、突拍子もなくて無謀なことを考えているのかもーー。無謀な勇ましさに、大人の自分はひるみながらも、愛おしさが胸にこみ上げてくるのを感じます。
『もう ぬげない』は「子どもの”イヤイヤ”は愛しいものなのかもしれない」と私に思わせました。
大変な”イヤイヤ”は、実は味わってもいいのかもしれない
私は、イヤイヤ期の2歳の息子にしょっちゅう手を焼いていました。
この間だって……。
みかんの皮をむいてあげようとすると「じぶん!」と言い放ち、私の手からみかんをもぎとる息子。むこうとするも、なかなか固いみかんの皮。指先でつつたり、押したり……。長丁場になると思った私はいったんその場を離れ、息子の後姿を見守ることにしました。そろそろ食べている頃だろうとのぞきに行くと、みかんはいまだ皮に覆われて……それどころか、みかんは息子の親指にささっていました。
それを私に見せながら、「みかんマン!」とはしゃぐ息子。そして……「ママ、かわ むいて?」ですって。
「自分でむくって言ったでしょー!!」
イラっとくる気持ちをおさえて、私はなんとか苦笑いで返したのでした。
そう、このとき私は確かに息子にイラっとしたんです。
でも『もう ぬげない』を読み終え「ぼく」には愛しさを覚えたころに、気づけば「みかんマン!」とはしゃぐ息子の姿を思い起こしていました。
試行錯誤をくりかえし、やっとみかんに指が貫通して……
「楽しい! 指が埋まったひんやりとした感触も、持ちあげようとすると重くてグラグラしちゃうのも。それによく見たら、みかんの顔をした人みたい。はいった指は首で、手のひらは体みたいだもん。よし! みかんマンにしよう!」
息子は、こんな風に感じたんでしょうか????
”イヤイヤ”を味わってもいいのかもしれない。つい苛立ってしまう自分は、惜しいことをしているのかもしれないーーそんな思いが浮かんできました。
すこしだけ子どもの”イヤイヤ”につきあう余裕ができた私。子どもの世界をのぞく楽しさを味わってみたいと思う今日この頃です。
そんなことを言って今日も、ご飯の時間なのに片付けを嫌がる息子にイラっとしちゃいましたけどね。
『もう ぬげない』作:ヨシタケシンスケ
出版社:ブロンズ新社
文・福本 福子