西山茉希:第3回 初めての撮影現場では自分だけ違う世界にいるようでした
第3回目となる今回は、西山さんがモデルとしての活動をスタートさせたときのお話を伺っていきます。
モデルになると決意してからは、すぐに上京してきたんですか?
最初のお仕事が『CanCam』だったんですけど、最初は、月に1~2回、撮影の度に新潟から東京へ通っていました。そうして通っているうちに、新潟中越震災が起きたんです。
東京への新幹線も止まってしまったので、飛行機のキャンセル待ちをしたり、撮影に行けるかどうかわからないような状況になってしまって、そのときに両親が「あなたの仕事は笑っていなくてはいけない仕事なのに、こんな状況だと笑うことも難しくなってしまうから」と言って、東京に住んでいた兄のところに行くことになったんです。
それで、東京に住んで生活することになりました。
モデルの仕事をやると報告したとき、ご両親はどんな反応でしたか?
私がモデルをやると決めたときが、ちょうど弟の受験のシーズンと重なっていたんです。家の中が結構ピリピリしている状況のなかで突然私がそんなことを言いだしたから、ママはわけがわからなくなっちゃったみたいで。「今日じゃなくてまた話をしようか」と言われたんです。
私はあまりそういう話を親にするタイプではなかったんです。なので「よし!話すぞ!」と思って話したのに軽くかわされたから、「あれ?」と思ったんですけど、後から聞いたら「あなたは過程を話したり相談をするタイプではなく結果報告しかしない人。もう決めたことなのだなと飲み込んでから話すのに時間が必要だったの」と言われました。色々な心配があったし、止めたいという気持ちもあったけど、止めても無理な子だから納得するしかなかったと。「あなたが選んだなら、頑張ってみなさい」と言って送り出してもらいましたね。
一番最初に撮影をしたときの気持ちを覚えていますか?
不思議でしたね。初めての撮影現場では、すべてが知らないことだらけで、自分だけ違う世界にいるような気がしました。
それまでモデルの仕事について調べたり勉強したりしていたわけでなく、何か一つのことをやりきりたいと思っていきなり飛び込んでしまったので、今自分の周りでスタッフさんやいろいろな方が動いたり作業していることの意味や目的などがよくわからなかったんです。
『CanCam』は誰かが何かを教えてくれたりするわけではなくて見て覚えるという現場なので、先輩モデルが撮影しているのを見て、それを見よう見真似でやってみるという感じでした。
カメラに向かって笑顔を出すのは難しくなかったですか?
地元で友達と写真を撮るのがすごく好きだったから、撮影のときに「ここは地元!」と思い込んで撮影に挑んでたことは覚えています(笑)。今、目の前にいる人を地元の友達に見立てて、「ここは学校の教室で……」と、頭の中を馴染みのある風景や人でいっぱいにして、カメラに向かって笑顔を出すようにしていました。
とにかく脳内にそういうことをたくさん思い浮かべて、撮影に挑んでいました。
モデルの仕事をしていて「この仕事、面白いな!」と思ったことはありますか?
経験することが全てが新鮮で面白かったです。あとは東京での生活と仕事がほぼ同時にスタートしているから、現場で知り合うスタッフさん、モデルさん、メイクさんやスタイリストさんとお友達になれたことがすごく楽しかったですね。
この仕事に対して夢を持っていたり、知識を持っていたりしたわけじゃなくて、完全にニュートラルな状態でスタートしているので、「こんなはずじゃない!」みたいなこともないし、経験することで、空っぽの中にどんどん色々なことが詰まっていって、自分の中が満たされていく感じがするのが楽しかったです。
逆に、モデルのお仕事を始めて辛かったことはなんですか?
自分自身が商品になるお仕事だから、完全なプライベートというのはある意味なくなるじゃないですか。オフでも『CanCam』から求められる体型を維持しなくてはいけないし、自分の好みとはかけ離れたファッションで撮影に臨まなければならないことが辛かったですね。
体型作りが上手にできなかったり、自分では選ばないようなお洋服を着て雑誌に載っていることが、読者の方にウソをついているような気持ちになったり……。そういうことがたくさんあったので、最初の5年は辛いなぁと思う方が多かったかもしれないですね。
華やかに見えていた『CanCam』モデル時代に、たくさん悩みを抱えていたという西山さん。
活動はモデルからテレビへと広がっていきます。
次回は、モデルからタレントへと活動の場が広がった時のことについてお聞きしていきます。
お楽しみに!
(取材・文:上原かほり 撮影:chiai)