西山茉希:第2回 このまま挑戦しない人生を送るのが嫌でモデルの仕事を始めました
生活のすべてをバレーボールに捧げていた中学時代を終え、高校生からは新たな生活をスタートさせた西山さん。第2回目の今回は、高校時代のお話、そしてモデルになったきっかけについてお聞きしていきます。
バリカンで髪を刈り上げていた中学時代も、流行の髪型やかわいらしい服装に憧れはありましたか?
もちろんありました!
バレーボールを辞めたら、髪を伸ばせるってずっと思っていたから、バレーボールをやめてからはすぐに髪を伸ばし始めました。
髪を伸ばすことだけじゃなく、かわいい物への憧れはずっとありましたね。
その当時から、モデルという仕事への憧れもあったのですか?
それは全然なかったです。10年経った今でも、こういうお仕事をしていることが不思議だなぁと思うくらい、私の中にモデルや芸能界への憧れは全くなかったんです。
モデルになったきっかけは?
高校3年生のときに、友達と一緒に東京に遊びに来たんです。そのときにたまたま、スカウトされたことがきっかけです。友達の大学見学にくっついてきて、卒業旅行のつもりで遊びに来た東京で迷子になったんです。銀座だったんですけど、そこで声をかけてきたスカウトマンが救いの神に見えて(笑)。
話を聞くから、私を山手線に乗せて原宿まで連れてってほしいとお願いして、銀座から原宿に着くまでの間、その人の話を聞いたんです。それで電話番号を教えたんですけど、かかってきても出なければいいやと思ってたくらいなんです。そのときは「山手線に乗せてもらえてよかった!」というくらいで、スカウトの話には全然興味を持つことなく新潟へ帰ったんです。だからあのとき東京に遊びに来て銀座で迷子にならなかったら、私はモデルにはなってなかったと思います。
バレーボールをやめた後、高校生活の中で「これをやりたい!」と思うものを見つけていたんですか?
それが、見つけられなかったんです。
私、クラスの中で本当に最後まで進路が決まらなくって。「どうするの?」と担任の先生に聞かれても、進学しても、就職しても、どれも中途半端になりそうで決められなかったんです。やるならちゃんとやりたいんだけど、そのやりたいことが見つからない状態で、何も決まらないまま高校を卒業して、そこからはずっとアルバイトをしました。
とりあえず進学してみようとは思わなかったんですか?
担任の先生にも言われたんですけど、大学に行くにしても専門学校も、とりあえず行くにしても入学金とか学費がかかるわけじゃないですか。それでスタートを切ってしまったら、2年とか4年はその生活がスタートしてしまうわけだし、なんかそれって違うなぁと思ったんですよね。
就職も、ちゃんと就職するなら最低3年は続けたいと思っていたので、そう考えると「3年続けたい!」と思える就職先に出会えなかったんです。
しんどいことがあっても「この仕事がやりたいから」という気持ちがなかったら、3年間ずっと辞めたいという気持ちで働いてしまう自分が想像できて、それが嫌だったんです。
すごくいろいろなことを深く考えるタイプなんですね。
あの頃は、なぜかそういうことをすごく考えていたんですよ。今だったら「なるようにしかならないからとりあえずやってみよう!」という気持ちになるんだけど、あの頃は変に頭が固かったんでしょうね。アルバイト生活をしながら、進学した友達や就職した友達に会うと、羨ましくなったり、自分だけ置いていかれてる気がして苦しくなりました。それで、自分の中で1つ道を決めて進んでみようという気持ちになったんです。
それで、モデルの仕事をやってみようと決めたんですか?
そうですね。スカウトしてくれた人とは、時々電話で近況報告みたいなことはしていたんです。
それで「友達と比べて自分の人生って……」みたいな愚痴を話したら、「人生から逃げようとしてるんじゃない?」って言われたんです。「何にも挑戦しないで嫌だと言ってるくらいなら、一度やってみて、嫌なら辞めればいいんじゃない?」と言われて。すごく悔しくなって、それで「私、モデルの仕事やります!」って決めたんです。
「モデルになりたいと思ったことは一度もなかった」という西山さんですが、運命に導かれるようにモデルの道へと進み始めたようですね。
次回もお楽しみに!
(取材・文:上原かほり 撮影:chiai)