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【東日本大震災3.11】出張中に被災、無事に帰れるか避難所での不安だった日々 #あれから私は

私は2010年の秋から宮城県名取市に仕事で来ていました。夫と子どもは横浜に残して、単身での長期出張でした。
そして忘れもしない2011年3月11日、私はそこで被災しました。
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被災して救出を待っている間、携帯は圏外で横浜にいる夫や子どもに無事でいると連絡することもできませんでした。 家族がどんなに心配しているか……連絡する術もなく救出までの一週間、何度も絶望し不安で押しつぶれそうになりながら、ずっと助けを待っていました。

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水が引いたあとは歩いて帰れる人は被害が小さかった方が作ってくださったおにぎりを持って徒歩で帰りました。 と言っても遠い人は数時間は歩いたと思います……。

被災して1週間が経ったころ、塩釜にある部署の同僚がトラックで助けに来てくれました。 名取の職場の社員は助からないのでは……と覚悟して来たと、のちに話していました。
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私は家族がいる横浜にしばらくは帰れないだろうとあきらめていました。そんな中、上司がなんとか手に入れてくださった仙台発の新潟行きの高速バスの切符を握りしめて、当時履いていた安全靴のまま着の身着のまま横浜の自宅に帰りました。

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何時間もバスに揺られ新潟まで行き、乗り換えをしてどうにか横浜に帰宅することができました。
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私の姿を見て夫が取り乱して泣いている姿を見たのはあれが初めてでした。私は被災して亡くなったと思っていたようです……。気が張ったままの私は、夫の姿を見て子どものように泣きました。 生きててよかった。また夫と子どもに会えてよかった……!

その後は3ヶ月ほど療養し、7月くらいにまた職場の復旧で名取に戻ったのですが、大きな被害を受けた名取市の閖上地区は被災直後のまま時が止まっているかのようでした。 もう何年も経ったのに、まだ当時を思い出すと涙が出てきます。

原案・ママスタコミュニティ 作画・ちょもす

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