【第5話】3.11の東京都心で帰宅困難を体験「母になり気づく、助け合いの大切さ」 #あれから私は
大地震の後、私は10km以上の道のりを歩いて夕方遅くに帰宅し、物が散乱した家を片付けはじめます。職場にいる旦那のメールも受信でき、家族の無事が確認できたのですが……一体何が起こっていたのかが分かったのは、夜になってからのことでした。
深夜11時ごろになって旦那がやっと帰ってきました。夕方6時頃にバイクで職場を出たものの、通行止めばかりで何時間もかかりぐったりしていました。いったん旦那を休ませて、買ってきたお水とパンを一緒に食べました。
私「無事でよかった……」
旦那「……うん。震源は東北だろ? 津波がきたって」
私「うん……ひどいことになってる……」
話していると、また余震が。そのたびに鳴り響く緊急地震速報。私はすっかり疲れきっていました。
旦那「俺まだ起きているから、少し休みなよ」
私「ありがとう」
その後も余震はあり眠れない日が続きました。津波の映像が頭から離れません。旦那は震災後もすぐに仕事に行かなくてはならず、私は家の片付けに追われました。
近所のスーパーに行くと、ほぼ何もない状態。とくにお米やパン、カップめんがありませんでした。「いざとなったら“すいとん”を作ろう」と小麦粉を買おうとしましたが、それもなし。ちょっと前まで気軽に買えたものが買えないなんて……。一番困ったのはトイレットペーパーでした。都内ではほとんどの店で売り切れていました。
このとき私にはまだ子どもはいませんでした。その場のやりとりを眺めていただけでしたが、娘がいる今の自分ならあのときのママさんの気持ちはよくわかります。災害に巻き込まれたとき、赤ちゃんや幼児といたらどういう行動をすべきなのだろうかと思います。
そして10年近くが経ち、今度は幼い娘と一緒に大きな地震を経験することになりました。