「育児は綺麗事だけではない」と私に覚悟を決めさせた、あるおばあさんとの出会い
また行動範囲も広がり、息子は好奇心を解放させます。家の中では、私の調理中に果敢にコンロや包丁に近づく。散歩をすれば道端の石ころや紙クズをつかむ、そのうえ口に入れようとする!
綺麗事だけではない育児。ママなら誰もがぶち当たる感情かもしれません。初めての育児で、私はこのネガティブな感情を持て余しました。苦しい状況をどうにかしたい一心で、友人に愚痴をこぼして共感してもらったり、母に弱音を吐いて叱咤激励をもらったりしていました。
しかしある日私は幸運にも、急に目の前が開けるような出来事に出会うのです。
その日は息子とスーパーへ買い物に行っていました。当然、息子の探求心は絶好調、カートから脱出したり、商品に手を触れたり……息子の対応に手こずりながら、何とか商品を選んでレジに並びました。すると前に並んでいた女性が私たちを振り返ります。きれいな白髪の、小柄な70歳頃のおばあさんでした。
私は、一瞬面喰らいました。こういうとき「そうよね、大変よね」といった共感の言葉が返ってくる経験をくり返していたからです。
「それはそうよ」というおばあさんの一言に、共感の響きはありません。でも私を否定する響きも含まれていない、まるで私の「あるがまま」を受け入れているような、そんな声でした。「ひとりの人間を育て上げていくことは、尊い仕事であり、苦しみもつきもの」。おばあさんのごく短い一言には、こんな育児の真理がこめられていたように、私は感じました。育児に苦戦していても自然なことなのだと少し安心し、私は同時に、この先起こるであろう育児の困難にも立ち向かおうと覚悟を決めることとなったのです。
その出会いから数年。息子が幼稚園で友達にケガをさせてしまったとき、「友達ができない」と登園渋りが続いたとき、はたまた、喘息発作などで入退院を繰り返したとき。「もう無理、もう嫌だ」という思いに襲われたとき、私の心に甦る、あのおばあさんの佇まいが私の心を強くしています。
もがきながらも、おばあさんからもらった知恵を味方に、しなやかに育児の困難を切り抜けていける母であれたら。今ではそう思える自分がいます。
脚本・福本福子 作画・べるこ