PTA役員やスポ少の当番や代表は男性も担当できる?前年までと違う方法を提案したママ・パパたち
筆者の長男は現在小2。親である私は昨年彼が入学した時から小学校でPTAのとある役員を務め、2年目に突入しています。当初は「低学年のうちにお役目を終わらせてしまおう」というよくある理由から立候補したのですが、たまたま選んだ役員の会が校長先生はじめ部長先生なども出席される会であったため、学校の内情や先生方のお考えをダイレクトに知ることとなり……。思いのほか前のめりで出席しています。本来1年で任期を終えるはずだったのですが、わけあって、「もう1年お願いします」と依頼されたとき、前向きにお受けできたのはそんな理由からでした。
さて、もうひとつ昨年からこの夏まで務めていたものに、長男が所属するあるスポーツチームの学年代表がありました。こちらは入部順に選手のママに回ってくるもので、薬箱の管理や遠征時の審判用のお茶の準備、不足アイテムの買い出しや、子どものけがの手当てなどが主な職務です。
今年、この両方を務めながら、去年との違いに気づいたことがありました。
PTAで去年までとは違う方法を提案したママたちの勇気
まず、PTA役員のほう。春、メンバーの入れ替わりのタイミングに6学年の各クラスから今年度いくつかの役職に就く複数名を選びます。たとえば6学年で18クラスあるとすると、〇〇委員を各クラス1名ずつ×18クラスで18人選ぶ、●●委員を18人選ぶ、というように。またそれぞれの委員の中から代表者を1人選出し、その人は各委員の代表者のみが集まる代表委員会に出席する決まりになっています。
その代表委員会初回のことでした。ある役職の代表として出席していたママが「私たち〇〇役は全18名が持ち回りでこの会に出席させていただきたいと思います。皆、仕事などを抱え、時間が限られているためです」と仰ったのです。
「おお~っ」とどよめきが起こった後、微妙な静けさが広がりました。想像するに「私だってフルタイムで働いているけれど、1年間ひとりでこの会に参加するつもりだった」とか「以前まではそうではなかったのに」とか、さまざまな思いがほかのママの脳裏を横切ったのではないでしょうか。そして次の瞬間、隣の席の別の役のママが、「え、それじゃあ、うちの●●役18名も、今のお話を持ち帰り、同様にさせていただくよう検討したいのですが」と発言。そりゃあ、ごもっともですよね。室内はしばし沈黙が続きましたが、最終的に、部長先生が「PTAは強制参加ではありませんし、皆様のご都合のいいようにお考えください」と寛大なお心で声を発してくださったので、結果その2役につく36名のママたちは持ち回りで順に会に出席なさっています。
代々ママが務めた役職を「パパじゃだめですか?僕でいいならお受けしますよ!」
もう一方のスポーツチームについても、変化がありました。こちらは夏の終わりに代替わりを迎えたため、代表と副代表の後任2名を選ぶことになりました。毎年、来年チームの最上級生となる学年から2人のママを選ぶ決まりです。さてどなたにというタイミングで、あるパパが「ママじゃなきゃいけない決まりってあるんでしょうか? パパでいいなら即断即決でお受けするのですが」と仰いました。そのご家庭は共働きのうえ、ママは土日にお仕事が入ってしまうことが多く、ほとんどグラウンドに来ることができないのです。
考えてみると、なぜ、代々ママが務めてきたのでしょう? ずーっと以前からの決まりなのでしょうが、筆者自身、うっかりとここまで疑問に思わずにきてしまいました。決定権もなく、担当者の条件がわからず、前任者である筆者はOKを出すことができず、ほうぼう確認する事態となりました。はじめに頭によぎったのは、各学年代表で作るLINEグループの名称が”ご婦人会“であること。そんなもの、名称を変更すればいいように思いますが、この古めかしい名称こそが大きな壁の存在を示しているように思えました。
スポーツチームというものはそういうものなのかもしれません。きっと皆さんが想像する以上に伝統的なアレコレがはびこっています。ママ友の子どもが所属する別チームでは、「審判に手作りの焼き菓子を持参しなければいけない決まりがある」そうです。そのため、ママ友は「私は死んだことにして一度も顔を出していない(笑)」と冗談ともつかない話を口にしていたほどです。
働くママも主夫のパパもいる今、男女で分ける意味は?
とはいえ個人的に感じているのは、ここへきて、新規で入団してくる側からは今の時代の風を吹かしてくれつつあるということです。働くママが増え、もしかしたらなかには主夫であるパパもいるかもしれない。役割に性差をつけることのナンセンスさを指摘し、自ら立候補するパパもいてくれる。変わりつつあるのです。
前述のスポーツチームの代表についていえば、「ママのほうが繊細で目配りがきく。パパなら気づけないことに気づくことができるからママでなければ」という理由で、代々ママが担当してきたそうです。でも、果たしてそうでしょうか? 周りを見渡してみると、目配りに長けたパパはたくさんいますし、反対にデーンと構え、細かなことに動じない肝っ玉ママだっているのです。どうしても焼き菓子を作れという決まりが取っ払えないとして、お菓子作りが上手なパパだっているかもしれません。試合の合間に審判にお茶をサーブするパパがいたら、むしろ「あのチーム、新しい!」って話題になり、入団希望者が増える可能性だってあります(笑)。
伝統はあってもいい。でも無駄は省くべき。
ここまで書いてきてなんですが、筆者は比較的クラシック、伝統といったものを愛するほうです。それが規律や美しさ、きちんと感につながるのならば。でも無駄は省くべき。
話題に挙げているような各役職については、まずは職務の棚卸しから始めなければと検討中です。項目の要不要を見極めたら、そこに男女を意識した担当割が必要か、あらためて考える時期に差し掛かっていると考えています。
ダイバーシティ(※)という大それた言葉をあてる必要はなくて、「子どもの成長は皆で見守ろう」。そういう共通認識を持って、親同士が手を繋げたら、教育の場やスポーツの場の未来はきっと明るい。そう信じ、今日も行動あるのみ! です。
「多様性」のことです。性別や国籍、年齢などに関わりなく、多様な個性が力を発揮し、共存できる社会のことをダイバーシティ社会といいます。
文・blackcat 編集・しらたまよ