3月11日の「東日本大震災」長い揺れの最中に頭の中をよぎった思いは?当時のママたちの状況とそのときに考えていたことは
2011年3月11日14時46分、宮城県石巻市の牡鹿半島沖を震源とするマグニチュード(M)9.0の「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」が発生しました。宮城県栗原市では最も激しい揺れの震度7を観測し、福島県いわき市小名浜では震度4以上の揺れが190秒も続いていたと言います。そして後に「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」による災害や地震に伴う原子力発電所の事故による災害は「東日本大震災」と呼ばれるようになりました。
東日本大震災のときにどのようなことを考えていましたか?
ママスタコミュニティには
『東日本大震災のとき東日本にいた方は、長い揺れを体感しながら心の中ではどのようなことを考えていましたか? 私は「やばい、長い、いつまで続くの、逃げないと死ぬかも」ということを考えていたと思います』
というトピックが立てられています。大きく長い揺れが続く中、不安や恐怖のときを過ごされた方もいるのではないでしょうか。
地球がなくなってしまうのではないかと恐怖を覚えた
『仕事中だったけど「これは地球滅亡なのか」と思った』
『真面目に「この世の終わり」だと思った。サッシも電柱も踊っているように見えて、不思議な感じだった』
『頭の中はパニックで”宇宙人でも来たのか、隕石か”と思った。地震って出てこなかったな。あまりにも揺れすぎて、経験したことがない感情。みんな死ぬか、地球が消えるのかと思った』
地震発生当時、地球がなくなってしまうのではないかと思っていたというママたち。筆者は静岡県内で過ごしていましたがあの日の揺れは何とも言い表しようがないもので、今までに味わったことがない揺れだったと記憶しています。震源地に近い方や揺れが大きかった地域の方は、もっと怖い思いをされていたのでしょうね。
『本震のときは”揺れているときはあそこに逃げなきゃ”、”玄関のドアを開けなきゃ”、”子どもに覆い被らなきゃ”って、意外と冷静だった。揺れが収まって何が起きたのかを知ってからの方が足がすくんだ』
地震で揺れている最中は身の安全を確保することに専念していて、その後の報道などでことの次第を知ってから恐怖感が襲ってきたというママも。テレビに映し出される光景は、信じられないことばかりでしたね。
とっさの判断が必要になる!ママたちはどのような行動をしていた?
『習いごとに向かう車の中で最初の大きな揺れ。後部座席で子どもたちは寝ていた。私は出産15日前。たまたまラジオを聴きながら運転していたら、DJさんが「すごい揺れ! 運転中の人はハザードたいて停車して」って聴こえてきて「そんなにすごい揺れなんだ! どうしよう」って心臓がバクバクしていたのを覚えている。
4階だったわが家は食器棚から食器が、冷蔵庫から物が飛び出て散乱していた。タンスも倒れていた。家にいなくて良かったと思った』
『いきなり電柱と電線と地面が大きく揺れ始めた。急いで子どもたちを呼び寄せて、たまたま横にあった駐車場で3人固まって揺れが収まるのをひたすら耐えていた。怖がって泣きじゃくる子どもたちを抱きしめて「大丈夫、ママが守るからね」って叫んでいた』
地震のときに子どもたちと一緒に過ごしていたママたちは、怖がる子どもに声をかけたりラジオから情報を得たりしていたのですね。大人でも恐怖を感じる揺れだったので、子どもはもっと怖い思いをしたことでしょう。
『子どものことしか考えられなくて、揺れてる中を幼稚園に向かって走った』
『あの日、上の子は小学校で下の子は保育園。「これヤバイ、子どもは大丈夫? 津波来ないよね? 子どもに会いたい。みんな死んじゃう」と思い、看護師の私は泣きそうになりながら患者さんを避難させていた。帰りたい、子どもたちに会いたいけど、患者さん優先。頭の中では子どものことを考えながら働き続けて帰れたのは21時過ぎ。
子どもに会えたのは翌日。先生たちも家族と会いたいだろうけど、子どもたちを一生懸命守ってくれた。わが子に会えたときのうれしさと安心感、子どもを守らなきゃという気持ち、守ってくれた先生たちへの感謝。絶対に忘れない』
地震発生当時、子どもと離れ離れだったというママも。居ても立ってもいられずに迎えに走ったり、仕事で帰ることができない時間も子どもの安否を気にしながら過ごしたりしていた様子が伝わってきます。子どもがどんな思いで過ごしていたのか、傍にいてあげられない辛さなども込み上げてきたでしょうね。
『揺れているときは”家が壊れたらどうしよう”って思いながら、パソコンと鳥かごを抑えてた。それからすぐに停電になって、暖房が使えなくなったから布団に入って過ごしていた』
『玄関を開けて、逃げるかどうするか考えていた』
『埼玉だけど前日に地震警報が鳴って「今のは誤報です」っていうのがあったから、あのときも誤報かと思った。でもゆっくりと揺れ出したから、急いで窓を開けてガス止めて玄関の鍵を開けて子どもを抱えてトイレに逃げ込んだ。火事場の馬鹿力だと思うけど、普段から気をつけているのが役に立ったと思う』
3月とはいえ、まだ寒い時期でしたね。ライフラインの停止で寒さや空腹を耐えるのに必死だったという方もいるかもしれません。また地震が起きたときには避難をするかしないかを考えたという方もいました。普段から避難経路や非常持ち出し袋を準備しておくなどの備えも見直しておきたいですね。
見知らぬ人が声をかけてくれたり誘導してくれたりした
『都内だけど子どもを抱いて外にいた。あまりの揺れの大きさにその場でしゃがみ込んで半泣きになっていたら、近くにいた会社員のおじさんが「ここは危ないから」って言って腕を掴んで近くの駐車場まで連れて行ってくれた。「大丈夫だから、落ち着いて子どもを守りなさい」って言われて平常心を取り戻した。その後も余震が続いたけど落ち着いて行動できた。あのときの会社員の方には感謝している』
近くにいた見知らぬ方が声をかけてくれたり、避難するように誘導してくれたりしたというママたちのコメントもありました。大変なときだからこそ、不安に思う心に寄り添ってもらえるのはありたがいことですね。
日頃からの備えやいざというときの避難方法について考える機会をもらった
『北海道地震の震度7経験したばかりだけど「東日本に勝るものはないな」と思った。本当にいろいろ考えさせられた』
『この日たくさんの命が失われた。思い出すだけで涙が出る。津波の生中継なんて、本当に衝撃的だった。逃げずに外へ出て周りを見回してた人たちがたくさんいたもんね。地震後にすぐ高台に逃げると判断できた人たちはすごいと思う』
『このトピを見て「今、自分や家族が生きていることに心から感謝しなきゃ」と改めて思いました』
東日本大震災をきっかけに日頃から非常時の備えを考えたり、必要な物を購入したりしている方もいるのではないでしょうか? いつ起こるかわからない災害から自分はもちろん、子どもや家族を守れるようにしたいですね。
各地に甚大な被害をもたらした東日本大震災。まだ辛い思いを抱えながら過ごしている方もいらっしゃるでしょう。ママたちが過ごしていた場所や置かれていた環境は異なりますが、毎年無事に3.11を迎えられたら、私たちが災害から身を守るためにできることを考えたり見直したりして過ごしてみるのはいかがでしょうか?
文・藤まゆ花 編集・しのむ
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