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『火垂るの墓』反省会。妹・節子はどうすれば助かった?ママたちは考えたことは

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アニメ映画『火垂るの墓』で、4歳にして亡くなってしまった主人公の妹、節子。『火垂るの墓』を監督された高畑勲さんは2018年4月5日に永眠されました。追悼企画として地上波で4月13日(金)に『火垂るの墓』が再放送されたことをきっかけにママたちの間で「どうしたら節子を救うことができたのか」が話題になっています。

『火垂るの墓』のあらすじを簡単にご説明します。

第二次世界大戦中、戦争に駆り出された父を亡くし、空襲によって母を亡くした14歳の兄と4歳の妹がいったんは親戚の家に身を寄せるも、親戚といさかいをおこしてしまいます。兄妹ふたりだけで防空壕を住み家にし、生き抜こうとするものの、兄ひとりの力ではどうにもならず次第に食料が尽き、妹を栄養失調で亡くしてしまうのです。そして兄も家族のすべてを失った失意の中、たったひとりで短い人生を終える……、という物語です。

おばさんの家に置いてもらい、清太が働けばよかった

最初はうまくいっていたかのように見えた共同生活も、清太が働かず、昼間からゴロゴロしていることでおばさんとの中も次第に険悪になっていきますね。

『西宮のおばさん家にいたら良かった。手伝いも学徒奉仕もしてたら、肩身狭い思いしなかったのに』

『甘やかされて育った坊っちゃんだから、耐えられなかったんだよね』

『疎開先の稼業を手伝うなり、近所の畑仕事を手伝うなりして役に立てば良かったんだよ。実際、疎開する子ども達はだいたいみんなそうしてたって話だし』

居心地の悪さから、結果的に清太は節子を連れて出ていくことになります。男子中学生ならばある程度の力仕事はできたでしょう。むしろおばさんに節子の子守をお願いして代わりに清太が肉体労働をすれば、西宮のおばさんの家に「居場所」ができていたかもしれません。ママたちからは清太の「甘え」を指摘する声がありました。

西宮おばさんについて一言いいたい

親戚ということで、清太と節子の面倒を見てくれていた西宮のおばさん。嫌味な言動が目立ち、次第に清太と節子との関係が悪くなっていきます。戦時中、自分たちの身を守ることで精いっぱいだった時代に、親戚とはいえ食べ盛りの子どもを二人も預かることになったおばさんに同情の余地はあるでしょう。ただ大人としてせめて節子には優しくしてあげてほしかった、という声がありました。

『おばさんはやっぱり意地悪だよ。節子に母親が死んだことを勝手に言ったり、母親の着物を売ると節子に言ったり。清太はともかく、あんな小さい子への仕打ちが酷すぎる。だから清太は出て行ったんだよ。節子を守るために』

節子を守るために、清太には家を出ていくしか選択肢がなかったのでは? という声がありました。一方で、今だからわかるおばさんの気持ちに共感するママたちもいるようです。

『おばさんも他人の子より自分の子を守るのに必死だったのかもしれない。自分もご飯もあまり食べていなかったよね』

『「よろしくお願いします」「ありがとうございます」「ご馳走さまでした」とか最低限できないと』

大人になった今だからこそ、西宮のおばさんの立場も理解できるようになったということですね。

母親を亡くし、働く気力が起きなかった?清太に理解を示す声も

同じくらいの年の子どもたちが働いているにも関わらず、家でゴロゴロしている清太。一見、だらしないだけのように見えますが……。

『たしかに、清太は普通の礼儀や忠義から逸れてる感じがするけど、それがまたなんか普通の子どもらしいというか。親を失って喪失感の中で、やっぱり、節子ちゃんが心の支えだったのかなーって思ったり』

『母の死が大きく影響したんじゃないかと思ってる。あんな時代に父親不在で母親死亡、妹と二人きり。孤独への恐怖もあったように感じる』

14歳といえば中学2年生。ただでさえ難しい年ごろなのに、母親を亡くしたことでの喪失感が大きかったのかもしれません。兄としてただただ節子のそばにいてやりたい一心だったのかもしれませんね。

お金の価値が低すぎて持っていても使えない?戦時中は貨幣経済が崩壊する?

日に日に衰弱する節子を見て、清太は、もしものときのためにと母親が銀行に預けていたお金をおろし、食べ物を買いに走ります。

『貯金下ろすのが遅すぎ。あんなに衰弱する前に、ドロボーする前に下ろして使えばよかったのに――』

『お金を下ろせたとしても、政府が配給して管理してたからお金の価値はゼロ。おばさんの家を出た時点で彼らには配給はない。だから盗むしか方法がなかったのかもね』

大金があるにもかかわらず、畑の野菜を盗んだり、火事場泥棒でつかまったり。お金があっても「使ってはいけない大切なもの」と思っていたのかもしれません。

節子を病院に連れていけばよかったのでは?病院は機能していたのか、という疑問も

体に湿疹ができたり、「おなかがびちびち」だと訴えていた節子を、もっと早く病院に連れていくべきだったという意見もあります。

『節子を大きな病院に連れて行って入院なりさせればよかったのかな? 病院も機能してなかったのかもしれないけど』

『病院も子どもだけなら相手にしないから、運命を変えられる方法はおばさんの家で耐えることくらいかな』

病院に連れていくも医者に「栄養失調からくる衰弱が原因。滋養をつけるしかない」と言われて「滋養なんかどこにあるのか!」と言い捨てる清太。住むところもなく、食べるものもなく、清太自身もどうしたらいいのかわからなくなっていたのかもしれません。

孤児を保護する制度があったらよかったのでは?国への不満

空襲や戦争で親を亡くし、戦争孤児となった子どもたち。親になった今となっては「国が保護してくれなかったの!?」と思ってしまいます。

『あの時代って孤児を保護する制度は無かったのかな? おばさんも節子の事はちゃんと見ていてあげるから、清太は外で働いて欲しいと安心できる言葉をかけてあげれば少しは違ったのかな』

国が、戦争孤児の保護策を打ち出したのが終戦直後の1945年9月。厚生省(現厚生労働省)の調査によると、戦後2年たった時点でも国内外に約12万以上の孤児がいたといわれています。保護策を打ち出しても保護しきれていなかった実情がうかがえます。

戦争さえ起こらなければ節子は助かったのでは?将来に生かされるママたちの決意

映画を見ていると、「戦争さえなければ」「節子だけでも面倒を見てもらえば」と、あれこれ考えてしまいます。

『節子・清太だけの話ではない。戦争さえ起きなければ良かった話』

『警察に行った後に、頭下げて戻れば良かったんじゃないかと思う。それか、節子だけは面倒を見てもらうように頼み込むとかね』

節子が亡くなったあと、清太もひっそりと駅の構内で亡くなり……。看取る人もなく駅のホームでひっそりと清太が亡くなるシーンはただただ悲しみがあふれてきますね。

大人になってから見直すと、子どもの時とは違って、なんとか妹の面倒をみようとしていた清太や、2人を結果的に家から追い出すことになってしまった西宮のおばさんの気持ちがわかるようになるかもしれません。『火垂るの墓』に登場する4歳の女の子、節子を救う方法はなかったのでしょうか。節子のような生き方を強いられる子どももがひとりでも世界から減っていくように祈らずにはいられません。

文・間野由利子 編集・しのむ

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参考トピ (by ママスタジアム
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