<親の所有物問題>「息子を嫁にとられる」と言うけれど、なぜ「娘を婿にとられる」と言わないの?
自分の子どもが結婚をしたとき、親としての感情もそれぞれでしょう。「嬉しさ」や「寂しさ」、もしかしたら「切なさ」「悔しさ」でしょうか。自分の感情がどのように渦巻くのか、未婚のお子さんをお持ちのママたちにとっては未知の世界なのかもしれません。
ところで巷で言われるこんな言葉を聞いたことはありますか? 「息子は結婚するとお嫁さんにとられる」。この言葉の意味がナゾ……と、投稿者さんはママスタコミュニティに疑問を投げかけてくれました。
『「息子は嫁にとられる」って言葉を聞くけれど、「娘は婿にとられる」って言わないのはなぜ? 息子は結婚したら嫁にとられるって、よく考えたら、おかしな言葉だよね?』
さらに投稿者さんはこう続けます。
『だいたい「とられる」って言葉自体がおかしい。息子は親の所有物じゃないよね? 娘は一個人として見れるけれど、息子は一個人として見られないってこと?』
はたしてママスタコミュニティにコメントを寄せてくれたママたちの見解とは?
確かに……!よく考えたらおかしな言葉だね
『昔からよく聞くよね。「男の子はせっかく手塩にかけて育てても、結局結婚したら嫁にとられる」って。「嫁に息子をとられた。悲しい……」とか。変な言葉』
『舅が言うとすると、「娘はお前にやらん!」になるのかな?』
『確かに。やるとかやらんとか、とるとかとられるとか、娘や息子は物じゃないけど……ってなるよね』
「息子をお嫁さんにとられた」は母親の立場として何気なく使われている言葉、しかしよく考えてみたらおかしな言葉だよね……と、投稿者さんに共感を示すママたち。息子が「嫁にとられる」と言われる一方で、父親も娘が連れてきた結婚相手が気に入らなかった場合「お前にはやらない!」と感じることもあるという指摘も、その通りですね。どちらも言葉は違えども、まるで子どもを「自分のモノ」のように表現する言い方に、少し違和感が含まれるのかもしれません。
「息子は嫁にとられる」その言葉の根底にある気持ちとは?
『男は家族を持つとそっちにばかり比重がいって、実家に寄り付かないイメージはあるかな。女の方が結婚しても実家とは交流ある感じ』
『そうだね。息子は自分で実家に連絡するとか、御礼をするとかしないだろうからね。そんな息子に育てたのは、息子の母親なんだけどさ』
『娘は結婚しても連絡するけど息子はしなくなるから「とられた」って言うんだよ』
娘の場合は、結婚しても里帰り出産などで実家を頼ることもあるため、親としてはいつまでも娘を身近に感じることができそうです。しかし息子の場合は個々の性格にもよりますが、気が回らなかったり連絡しなかったりするので、なかなか息子自身の近況を知ることは難しくなります。かといって結婚して自立をした息子に対して、親の方から積極的に連絡を取り続けることも、子離れしていないようではばかられてしまうでしょう。そういった息子との距離ができていくことへの寂しさから、「息子を嫁にとられた」と思ってしまうのかもしれませんね。
『じゃ、結婚させなきゃいいじゃんね。ずっとママのそばにいるように育てりゃいい』
とはいえ、子どもがずっと独り身でいるのもそれはそれでアリだと頭では分かってはいるものの、結局心配になるのがオヤゴコロの複雑なところでしょう。結婚して自立をしても、頻繁に親に連絡をくれる息子であってほしい……というのが心の奥底にある願望なのかもしれません。しかしそんな息子さんと結婚したお嫁さんとしては、「もしかしてマザコン?」と、逆に微妙な心境になりそうです。
逆に娘のことは父親が言うことが多くない?
『「息子を嫁にとられた」って息子の父親は言わないよね。言うのは母親』
『父親は「どこの馬の骨かわからんやつに娘はやらん」というセリフがあるんだから、結局は親が異性の子に対して言いがちなんじゃない?』
『息子のことは母親が言って、娘のことは父親が言うよね』
「息子をとられた」「娘は渡さない」といった表現をする多くは、異性の親であるという指摘に、思わず頷いてしまいますね。同性の子だとお互いの気持ちが分かるので結婚してもまだ身近に感じられるけれど、異性の子だとすっかり手の届かないところに行ったという気持ちになってしまうのでしょうか。
『異性の子どもに対して、パートナー的な気持ちをもってるからでしょ』
「同性」とはまた違う「異性」への子どもへの感情は、言葉では言い表せない難しさがあるのかもしれませんね。しかし……。
『親の性格による。うちの母親みたいに女親が娘を所有物だと思い込んでる例もあるよ。彼氏ができたり結婚話が出ると「娘をとられた気がする」って実際言ってたし』
というコメントをくれたママもいました。大事な子どもに親である自分以上に大切な存在ができたとき、「寂しい」気持ちの表現方法として「とられた」と言うかどうか。それは、それぞれの「親」の性格によるところが大きいようですね。
「自分の子ども」という存在へ対する意識の違い……?
『とるとか、とられるとかの概念がもう昔の人って感じ。そんなもんない』
とる、とられるの概念の根底にあるのは、「わが子」という存在に対する意識の違いがありそうです。わが子に対して「個人」として見ていれば「とる・とられる」といった感情はわかないようです。しかし「自分の子ども」という気持ちを強く持っていると、子どもにパートナーができたときに、思わず「とられた」と表現してしまうのではないでしょうか。ただ「とられる」という表現をしたからといって、決して親が子どもを「モノ」として見ているわけではないのです。あくまでも「寂しい」気持ちの言い換え表現が「とられた」となってしまうだけなのかもしれませんね。
『女性が「嫁に行く」って考え方の中で育ってきた人がまだ多いからじゃないかなー。だんだん変わっていくかもね』
一方、ママスタコミュニティでも「息子をとられる」なんて「聞いたことない」というコメントも見受けられました。かつては結婚したら親世代と同居をする「大家族」が主流でした。今は時代の変化とともに核家族が増え、「結婚」への価値観も多様化していると言えます。当たり前のように語っていた「嫁にはやらん」とか「息子がとられる」などと言った言葉は、いずれ「古い」と言われ、廃れていくのかもしれませんね。ただどの言葉を使うにしても、根底にある親の愛情は変わっていないということは、いつまでも覚えておきたいですね。
文・渡辺多絵 編集・しらたまよ イラスト・藤森スズメ
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