夫の余命宣告で気付く。「平凡で幸せな毎日」はもう取り戻すことができない
病院に担ぎ込まれる夫に付き添った私を待っていたのは、あまりにも衝撃的な現実でした。
職場の検診で見つかったというガンは、発見された時点ですでに手遅れだったそうです。大学生と高校生の子どもがいる我が家。それぞれの生活リズムも異なり、私も仕事をしているので、忙しく過ぎ去る日常の中で夫はなかなか言い出すことができなかったのだそう。あまりに突然のことで、頭が真っ白になる私。頭の中には「なんで?」という言葉が巡ります。なんで、気づいてあげられなかったの……? なんで、もっと早く言ってくれなかったの? なんで、ふたりの時間をもっと大切にしてこなかったんだろう……なんで、この人がこんな目に……。
淡々と話す夫に、涙が止まらない私。夫はもう「自分の死」を受け入れていました。お金なんかなくても良い、苦労だっていくらでもする。あなたがいなくちゃ、何の意味もない……。突然、絶望の淵に立たされた私は目の前が真っ黒になりました。そんな私を、夫は静かに「本当に……申し訳ない……」と謝るばかり。なんで、あなたが謝るの? なんで、私は病気のこの人に謝らせているの? なんで、こんなに悲しいことがこの世の中にあるの? 行き場のない悲しみと怒りでおかしくなりそうな私を見つめる夫。こういう風になるのが分かっていたから、夫はなかなか言い出せなかったのでしょう。でも、一番辛いのは夫のハズ。私はチカラを振り絞って夫に言います。
私「義両親や、子どもたちにも、最後の時間をちゃんとあげてほしい……。残されていく人たちにも、後悔してほしくないから」
夫「……分かった」
私「どこか行きたいところある? 何かやりたいことある? 何でも一緒にやろうよ!」
夫「そんな‟特別″はいらないよ。いつもと同じ日常がオレの幸せだからさ」
そして、今日も我が家は「いつもと同じ日常」を過ごしている……つもりになっているだけで、やはり心の中はそうはいきません。夫の余命のことを話してから子どもたちは家にいる時間が多くなったし、義両親も頻繁に来るようになりました。どこかでみんな「いつもの日常」を過ごすふりをしながら「最後の想い出作り」をしている気がします。「平凡だな」「つまんないな」なんて思いながら「当たり前」に過ごしている毎日。
どうかみなさんも、今ある「当たり前」の日々を大切にしてください。
脚本・渡辺多絵 作画・さど