我が子が孫になって気付く。「祖父母とのふれあい」の大切さとは
思い出すだけで懐かしい匂いがしてくる「おじいちゃん・おばあちゃん」との想い出。親とはまた違った目線でたくさん注いでくれた愛情は、いつも‟一番の味方”でいてくれる自信をくれました。
大好きだったしわしわの手に、独特だった‟おじいちゃん・おばあちゃんの匂い”がよみがえります。たくさんの薬を飲む姿や、何度聞いても飽きなかった昔の話。幼い頃から‟変わることのない”おじちゃんとおばあちゃんの存在は、大人になっても「いつでも子どもに戻れる」安心感がありました。
ママスタコミュニティに寄せられた『印象に残ってる祖父母との思い出』に綴られる、あの日たしかにココにあったやさしい想い出に、たくさんの「ありがとう」が響きます。
ご飯はたくさん、好きなものはいつまでも……。想い出は「この味」と一緒に
『祖母も仕事をしてて夕方に帰ってくるのを近くの橋まで迎えに行っていた。私の大好きな豆乳のフルーツミックス味を必ずお土産に買ってきてくれた』
一回「これが好き」というと、エンドレスに続くこともありました。きっと喜んだ孫の顔が忘れられなかったのかもしれません。あまりに続くと貰う側をしては「もう飽きたな……」なんて思いながらも受け取っていた贅沢な思い出。今も見かけると、おじいちゃん・おばあちゃんの笑顔が懐かしくて、今でもつい買ってしまいます。
好きなものを覚えてくれていて、ありがとう。
『祖父母の家に泊まりに行ったとき、必ずおじいちゃんは手作り水餃子やラーメン、おばあちゃんは卵焼きとかを作ってくれた。
帰るときはおじいちゃんは笑顔で、またおいでって言って握手。おばあちゃんは外まで出てきてくれてほっぺにチューしてくれた。お互いに見えなくなるまで手を振ってたなぁ』
大好きだったおじいちゃん・おばあちゃんの味。テーブルいっぱいに作られたご飯を「もっと食べなさい!」「遠慮しないで!」と、次々と勧められた思い出もあります。「お腹いっぱい」が、おじいちゃん・おばあちゃん流のおもてなしでした。
「孫が来てくれる」ことを何よりも楽しみにしていてくれて、ありがとう。
たくさん聞かせてくれた、ためになるお話し
『北海道のばぁちゃんが我が家に遊びに来た時に母親と台所で料理しながら、人参のヘタの部分切ったやつを私に見せて、このヘタの周りも切って使うんだよ、もったいないから…って言ってたのをなぜかよく覚えてる』
昔のモノが貴重だった時代を知っていたおばあちゃんの口癖は「もったいない」。幼かったがゆえに「貧乏くさい……」なんて思ってしまったこともあったでしょう。けれどモノに溢れた今の時代でも「もったいない」精神は忘れてはいけないはずです。
生きるために大切なことを、たくさん教えてくれてありがとう。
『戦争の話をよくしてくれた、お金の使い方や、人生訓話みたいのをいつも聞かされて、おばあちゃんちの帰りは身を正された思いだったなぁ』
戦争を体験した人が、少しずつ少なくなってきている現代。たくさんの人が命と涙を落した悲しいできごとは、ただただ黙って聞き入るしかありませんでした。それを次の世代に伝えることも、おじいちゃん・おばあちゃんから話を聞いた私たちの使命なのかもしれませんね。
戦争の話は、絶対に忘れません。話してくれてありがとう。
‟あの日”が最後に……
『私が高3の時におじいちゃんが認知症になってしまった。
おじいちゃんはプロレスが大好きだったから、プロレス観戦しに行こうと誘って2人で観に行った時のこと。
「孫と久しぶりのデートだなぁ! うれしいなぁ。こうやってプロレス見に来たことはボケが進んでも忘れたくないよ……」と言って泣いていた』
記憶をなくしてしまうことへの怖さと、記憶がなくなってしまう人を見届ける怖さ。切なく並ぶ2人のデートは、その日確かに存在していました。
記憶が薄れても、心の中にはいつまでも残り続けるはずです。
一緒に出掛けてくれて、ありがとう。
『肌が白くて胸大きくていつも化粧のいい匂いさせてた。一緒に寝たりお風呂はいってた。
軽い反抗期中に脳卒中で亡くなっちゃった。具合悪くて寝出したから「ごはんとっておかないよー」って意地悪言っちゃった。そのまま悪化して救急車で運ばれて次に会ったのは亡骸だった。大好きだったのに未だに後悔してるよ』
『おじいちゃんが「お腹痛い」って言って、頼まれて近所の薬局に浣腸を買いにいった。お腹の痛みは治らなかったけど、塾に行く私を駅まで軽トラで送ってくれた。
お腹の痛みは便秘じゃなくて膀胱ガンで、その後入院して家には二度と帰って来られなかった。思い出すと涙が出てくる』
大好きだった人との別れでは、誰しもが存在するあの日、あの時が最後になってしまった記憶。そこに「後悔」がない人は少ないでしょう。
神様しか分からない「その日」の訪れに、私たちができることといったら「いま」を大事にする……ということでしょうか。
大好きだったよ、ありがとう。
いま、心からの「ありがとう」を伝えたい
『私が結婚する日に、雨が降っててへこんでたら
「雨は地を固めるから、大丈夫。ここは、あんたの家やからいつでも帰って来なさい」って、縁側に履物を揃えてくれた。
不覚にも泣いた』
いつまでもおじいちゃん・おばあちゃんが変わらずに待っていてくれる……。おばあちゃんのその言葉があったから、今日まで頑張ってこれたのかもしれません。
ありがとう、絶対に幸せになります。
『結婚してみすぼらしくなったの心配してるみたい。
「子どものものはあるんだろう、あんたの物買いな! 靴下でも!」ってティッシュに包んだ一万円札くれた。泣けた』
なぜだか‟お金をティッシュで包んでくれる”という‟おじいちゃん、おばあちゃんあるある”も、涙でにじんで見えません。ママになっても、おじいちゃん、おばあちゃんにとっては「可愛い孫」のまま。
誰かに心配されることが少なくなったいま、その優しさが心にしみますね。
お金以上の「気持ち」をくれたこと、忘れません。ありがとう。
まるで昨日のことのように思い出される記憶は、たくさんの愛情と優しさを与えてくれました。おじいちゃん、おばあちゃんとの時間は、私たちにとってかけがえのないのもだったでしょう。
大好きだったおじいちゃん・おばあちゃんに「今すぐに会いたい」という想いをすぐに叶えられる人もいれば、永遠に叶えることができない人もいると思います。嬉しかったり、楽しかったり、悲しかったり、後悔したり……いろいろな想いを丸ごと抱えて、私たちは「今」を生きていかなくてはいけません。
私たちの中に培われた想い出の数々で、おじちゃん・おばあちゃんは永遠に見守ってくれていいるはずです。
そして時は流れ、自分たちの親が祖父母となり、自分の子どもが孫になった「今」。
「親」という立場からは、なかなか両親、義両親との距離感が難しいところもあります。けれど「孫と祖父母」の時間を作ってくれていたのが、実は親だったということに改めて感謝をし、自分にとってかけがえのない時間だった「祖父母とのふれあい」を子どもにも作ってあげるのも、親の役目なのだなと感じました。
あなたの「おじいちゃん・おばあちゃん」との想い出はなんですか?
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