子どもの何気ないひと言。「病の発見」に繋がる大切なサインかもしれません
「ママ、ボクね、こっちのお耳が聞こえないんだよ」
数ヶ月前のある日、降園途中の帰り道に私が運転する車の後部座席から息子に突然こう告げられたときは耳を疑いました。
直前までまったく違う話をしており、何の脈絡もないタイミングでの告白。
「何、突然? なんでそんなこと言うの? 」とつい疑うような口ぶりで聞き返してしまい、なんならその勢いでそのままやり過ごしてしまいそうだったのは、そんな兆候は微塵もなかったからです。
危うく大失態と犯すところ、まずは息子の告白を疑った
男の子にしては言葉を話し出すのが早く、周囲の誰もが驚くほどに口達者。おしゃべりで早口な私と対等に喧嘩ができる。
音感もよく、歌が大好きで一度聞いた曲はすぐに覚えて歌い踊る。中耳炎にもかかったことがない……。
耳にまつわる彼のあれこれはどれも聞こえないとは思えないことばかりだったのです。
最近では時折、私を面白がらせたり怖がらせたりするために作り話をすることもありました。
だからきっと今回もそうだろうという思いがよぎりもしたのです。
帰宅してからもいろいろと聞き出そうとたずねたのですが、4歳児のこと、肝心な詳細までは覚えていないのか、ふざけてしまって話してくれず、聞きだせず。
それでもモヤモヤとした思いにとらわれ、心がざわついたのは私自身が耳に難ありだからです。
子供時代、スイミングスクールに十数年通っていたために何度も中耳炎になり、あるときには悪化しすぎて片耳の鼓膜を切開。そのためなのか、そちらの耳はもう一方の耳に比べて聴力が落ちます。
めまいで倒れたことも数回あり、後にメニエール病と診断。
疲労が溜まれば時々突発性難聴になります。
また、私の母も耳に問題を抱えています。
赤ん坊時代に中耳炎にかかったのですが、発見が遅れた結果、片方の耳の聴力が著しく弱いのです。そのため生まれてこのかたプールにも海にも入ったことがなく(もう一方の聴力を温存するため)、ずっと補聴器を使用しています。
そんなこともあり幸か不幸か耳について考えたり調べたりする機会が多くあり、一度失った聴力はとても回復しづらいことを知っていました。
もしも耳じゃなかったら、前述のようにやり過ごしてしまったかもしれません。
でも耳は。
こと聴力に関しては一刻を争います。
思い込みは危険かつ無責任
すぐにある程度検査機器の揃った近隣の耳鼻科で診ていただきました。
翌週にはその耳鼻科の紹介で国立の小児病院で精密検査を受け、やはり息子の告白は真実だと診断されたのです。(即日病院にかかり、適切な対応をしていただいたので事なきを得ました)。
驚きました。
そして息子の告白を疑い、大事を見逃しそうになっていたことに慌てふためき、自分を恥じました。
また、こんなこともありました。
朝食を食べていたときのこと。「耳がかゆいーーーー!」とやはり突然に騒ぎ出す息子。
なにをまたそんな大げさなと呆れ、
「耳かきする?」とのんびりと声をかける私を息子はものすごい勢いで拒絶。
「そんなんじゃない!」と怒鳴るではないですか。
かわりに自分の小指を耳の穴に突っ込み、いらいらしながら中をかき回すような仕草を繰り返して。
でもしばらくすると落ち着いたのか、ふたたび朝食を食べ始めたので、「バナナ、もう少し食べる?」と声をかけると驚くべき返答が。
「いらない! バナナ食べたから耳がかゆくなったの!」
赤ん坊の頃からバナナはもう何度口にしたかわかりません。
アレルギー反応が出たこともありませんでした。それなのに……。
でもそのときにハッとしたのです。
「あ、だとしたらあの話も本当だったのかも」
それはさらにさかのぼること1か月ほど。
「(同じ園に通うお友達の)○○君ね、パイナップルを食べると口のまわりがかゆくなるんだって」
と、まさにパイナップルをほお張りながら教えてくれたのですが、その直後。
「ボクはね~、グレープフルーツを食べると耳がかゆくなるよ」
え、何を言っているの?
だってグレープフルーツも大好きでよく食べているけれど、そんなことひと言も言ったことはないし、実際、何も起こらなかったじゃない。
だからそのときは完全に息子がふざけているのだろうと思い込み、つい、「えー、本当~? ○○君の真似しただけでしょう!?」と返してしまっていたのです。
子どもを「見た目」で判断しない
「子どもの言うことだし」
相手が幼いとつい真剣に取り合わなかったり、冗談だろうと聞き流してしまったりしてしまいがちです。
また例のごとくこうも思います。
「うちの子に限って」
目視できる症状がない限り、まさか病や問題を抱えているなんて思いもしないのです。
むしろ鼻水や擦り傷のほうが丁寧に処置するくらい。
もっと大事だと「まさかそんなことあるわけない」とよくよく調べもせずに決め付けてしまうことも……。
この一連の騒動で、子供たちは親が想像する以上にものをよく理解し、判断でき、起きていることを言葉で伝えられるのだということも思い知らされました。
ポロリとこぼしたひと言にすらとても大切な何かが潜んでいるかもしれないなら、よくよく注意を払っていないといけません。
嗚呼いつのまにこんなにも成長していたのでしょう。
それなのに親である私がしっかりとしていないものだからうっかり大切なことを見落とすところでした。
いや、うっかりですまされることではありません。
抜くところは抜いていいと考えるほうですが、それとこれとは別。
今後は「丁寧で細やかな目配り、気配り」に努めようと心に誓うばかりです。
文・blackcat イラスト・マメ美