“かわいそう口撃”に、もううんざり!私はかわいそうな育児なんてしていない!
「ほら泣いているよ。かわいそう」
「かわいそうに。靴下履かせなきゃ寒そうじゃない」
「そろそろ離乳食はじめたら? かわいそうに、食べたがっているよ」
これらの言葉は、1歳にも満たないわが子を育てている最中に、筆者が実際に言われた言葉です。実母や義母、祖母から言われておりましたが、ときには通りすがりのおばあちゃんに言われることもありました。「かわいそう」と言っている本人たちは何の気なしに発言しているのかもしれません。しかし言われる側、特に子育て真っ最中のママにとっては、自分自身の育児を否定されているような気持ちになり、悲しみよりも苛立ちを強く感じてしまったりしませんか?
何でもかんでも「かわいそう」という祖母
筆者は「かわいそう」という言葉が好きではありません。元々「あまりいい言葉ではないな」と思っていましたが、子どもを産んでからは更に嫌になり「かわいそう」という言葉にとても敏感になったと感じています。
というのも、会うたびに筆者の祖母から幾度となく「かわいそう」の“攻撃”ならぬ“口撃”を食らってきたからです。
特に、里帰り中は毎日のように「かわいそう、かわいそう」と言われていました。90歳を超える大正生まれの祖母は、歩行こそ杖を使っていますが認知症もなく言葉も達者。双子のひ孫の誕生を大いに喜んでくれましたが、ところどころ育児に口出しをしては「かわいそう」と言って筆者を苛立たせます。
例えば、生後2か月から始まる怒涛の予防接種。「まだこんなに小さいのに注射なんてかわいそうだね」と言われました。また離乳食が始まってからは「パパやママみたいに美味しいものが食べられなくてかわいそうだね」など、子どもの成長においてどうすることもできない部分に対しての声がけが多く、筆者が泣いている子どもをバウンサーに乗せて揺らしているときも「抱っこしてあげればいいのに。かわいそう」と、今見た一部の情報のみで状況判断して言われたりもしました。ことあるごとに「かわいそう」という単語をぶつけられていたある日、筆者がお手洗いに行っている合間に子どもが泣き出してしまっていました。足早に戻るとそこには祖母が。「泣いている。かわいそうに」と吐き捨てるように言う祖母に、とうとう堪忍袋の緒が切れてしまいました。
「かわいそう、かわいそう、うるさい! 私はかわいそうな育児なんてしていない!」
なぜ「かわいそう」という言葉に嫌悪感を抱くのか
ことあるごとに祖母から「かわいそう」と言われた筆者ですが、なぜここまでこの言葉に嫌悪感を抱くのか考えてみました。すると、これまで筆者自身が「かわいそう」と感じてしまう事例はどれも、自身とは関係のない、いわば“他人事”だと感じる場面で、相手に対して「かわいそう」と感じてきたことに気が付きました。事例そのものは伏せさせていただきますが、哀れみながらも他人事としてとらえ、心のどこかで蔑んでいるような感情すら抱きました。だからこそ自身が命を削っておこなっている育児に対して「かわいそう」という言葉を繰り返し言われようもんなら、なおのこと苛立ちます。
“ママの先輩”である人たちは、どうして「かわいそう」と言ってしまうの?
筆者に「かわいそう」と投げかけてくるのは祖母だけではありません。冒頭にも記載しましたが、実母や義母、通りすがりの人までも軽々しく「かわいそう」と言います。言ってくる人はみな女性で、子育てを終えたであろう言わば“ママの先輩”たち。きっと自分自身が子育てをしている最中ならば、些細なことも口出しされたくなかったのではないでしょうか。なのにママの先輩はなぜ「かわいそう」と言ってしまうのか、筆者の周りのママの先輩を基準に理由を考えてみました。
あまり深く考えていない。口癖のような感覚
年齢を重ねおおらかになり、あまり深く考えずに思ったことを口に出してしまうのかもしれません。「かわいそう」と言われたママの気持ちを考える前にポンと発してしまっている可能性も。また平時と比べ、少しでもよくない状況を「かわいそう」と表現してしまっているかもしれませんし、口癖感覚になっていることも考えられます。
いまどきのママの育児方法が不安だから?
たった数年でも“育児の常識”というものは変化しているのではないでしょうか。便利な育児グッズで溢れている現代の子育て方法と、自身が子育てをしていた頃との育児方法の違いを感じているかもしれません。筆者自身も祖母から「ずいぶんラクして子育てできるんだね」と言われたことがあります。もしかしたらママの先輩たちは「私たちの時代の子育てはもっと大変だったんだぞ」という気持ちから「かわいそう」という言葉を使っている可能性もありそうです。しかし便利な育児グッズたちは、ママの先輩たちの「あったらいいな」というものが具現化したものです。今の時代で育児できることをとてもありがたく感じ、使わせてもらっています。
ファミリーレストランで老夫婦からかけられた何気ない一言に思わず涙
つい先日、筆者が家族でファミリーレストランで外食をしたときの話です。食事を終えてひと息ついているときに、子どもがレジ付近に置かれているおもちゃが欲しいと騒ぎ始めました。あまりにも大騒ぎをするためお会計を旦那に頼み、一足先に騒ぐ子どもと店を出ることにしました。「食後のコーヒーも飲めなかった……」と、ため息交じりで子どもを駐車場でなだめていると、食事を終えて店を出てきた老夫婦に声をかけられました。
「おかあさん、偉いね。頑張っているね」
たったこれだけでしたが、筆者は涙が出ました。「ああ、こういう言葉がほしかったのか」とストンと何かが落ちるような感覚でした。普段こなしている育児や家事や仕事。当たり前の毎日を送るためのママの努力は誰も褒めてくれません。老夫婦が店から出てくるところは筆者自身の視界にも入っていましたが、きっといつものように「あらあら泣いている。かわいそうに」と思われている、もしくは言われるのかなと思っていたため、思いがけない声がけに思わず涙してしまいました。
「よかった。私、頑張っているんだ」
ママの先輩なら理解してほしい。子育てママは何気ない言葉で一喜一憂する
筆者の子どもたちも今では3歳になり、赤ちゃんの頃に比べれば周りからの“かわいそう口撃”はずいぶん減りました。しかし子どもが風邪をひいたり怪我をしたりするとやはり「かわいそう」という言葉を投げかけられ、苛立ちながらウンザリしてしまうこともしばしば。たまに言われる程度になったからこそ聞き流せるようにもなりましたが、どうしても「かわいそう」という言葉は未だに気にしてしまいます。子どもの年齢=ママとしての年齢です。正解がなく手さぐり状態の育児をしている今だからこそ、相手が放った何気ない、そして些細な言葉にも敏感になっているように感じます。逆に何気ない一言で苦労が報われることもあり、ママの心は非常に繊細な状態が続いているのでしょうね。「将来、筆者自身が姑の立場になったときも気をつけなければ」と心に誓った出来事でした。
文・吉岡可奈 編集・Natsu イラスト・Ponko