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学校に行くことが当たり前の世の中。「この子がいなくなってしまう」と思ったあの日

わが子が学校に行かない選択をした日、わが家で起きた出来事1
わが家には、もうすぐ成人を迎える息子がいます。私の身長をとっくに追い抜き、心身ともに大人に近づいている彼ですが、ここに来るまで、様々な問題にぶつかってきました。

「ぼく、学校には行きたくない」そう主張し始めたのは小学校2年生の夏が近づく頃。ちょうど運動会が終わり、ホッと一息ついた頃のことでした。急に学校に行きたくないと言い出したかというと、そうではありません。

「行くの?行かないの?」毎朝のやりとりが憂鬱だった

振り返ってみれば、保育園時代から行き渋りが激しく、泣きじゃくりながら登園するような子だったことを思い出します。小学校に入ってからもスムーズに登校できたのは数えるほど。私が教室の入り口まで送迎することもありましたし、ときにはお休みをしながら、なんとか1年生を終えたのでした。

毎朝繰り広げられるのは「今日は行くの? 行かないの?」というやりとり。前日の夜「明日は行く」という息子の言葉にホッとして眠りについても、翌朝にはお腹が痛くなっていることも多く、だんだんと朝の時間が憂鬱になっていきました。それなのに「じゃあ今日はお休みしようね」と決めた途端、元気になる不思議……。

仮病なんじゃないか、本当に体調が悪いんだろうかと息子のことを疑ってしまうときもありました。子どもの言い分を真に受けて休ませてしまうのは、単なる甘やかしなんじゃないかと、親としての自分を責めることも多かったです。なんでうちの息子は学校に行けないんだろう……その理由を私はずっと知りたいと思っていました。

学校に行けない理由を聞きたい、けれど……。

学校にいけない「まっとうな理由」を学校や周囲に伝えることができれば、ちょっとは私の気持ちが軽くなるような気がしていましたが……。担任の先生が変わったからなのか、学年が上がったからなのか、はたまた学習に躓きがあるのか。お友だち関係でトラブルがあるようには見えませんでした。私が気づいていないだけだったのでしょうか。息子は、たしかに繊細なタイプではあるけれど、結局は「これ」といった明確な理由は見当たらないまま……。

そんな毎日だったので、週末や夏休みなどの長期休暇が待ち遠しく、親子で今か今かと休みになる日を待ち望んでいました。周りのママたちが「夏休みが始まるの憂鬱だわ~。毎日のご飯作りとか大変だもんね」と話しているのを聞くにつけ、「へえ!」と心の中で思ったものです。たしかに四六時中親子で一緒に過ごすのはしんどいけれど、あの憂鬱な毎朝の時間を思うと、わが家にとって夏休みは天国そのもの! 実際、夏休みに入ると息子はみるみる元気になり、その姿に私も夫もホッとしたものです。しかし夏休みが終わりが近づくと……。

今度は胸のあたりをキュっとしめつけるような息苦しさが、私を襲ってくるようになりました。ずっと夏休みが続いてくれたらいいのに。またあの憂鬱な日々が戻ってくる……という不安だったのだと思います。そして迎えた2学期の始業式の朝のこと。

このままではこの子がいなくなってしまう!

わが子が学校に行かない選択をした日、わが家で起きた出来事2
息子の起床を待ちますが、一向に起きてくる気配がありません。7時になっても8時になっても起きてこない。とうとう寝室に向かい「ほら、今日から2学期が始まるよ!」と息子に声を掛けました。「もう、うるさいなあ」なんて、いつもの調子で起きると思ったのに……。布団をはぐと、そこには、まるで赤ちゃんのように小さく丸まった息子の姿がありました。枕に顔をうずめて声を殺して泣いていたのです。

結局、始業式当日、息子は学校へ行きませんでした。夕方、担任の先生がプリントを持ってきてくれましたが、息子を呼んでも玄関先に出てきません。返事すらしません。せっかく来てくれた先生に申し訳ないと思いつつも、「明日は行けるといいんですが」と伝えるのが精いっぱいでした。

先生を見送って夕食の支度をしていると、突然ドスドスと2階から物音が。息子が気分でも悪くなって倒れたのかと部屋に向かうと、部屋の中には漫画の本がそこらじゅうに散らばっていました。タンスにしまっておいたはずの服や靴下も部屋じゅうに散乱しています。

「くっそ、学校なんかなくなっちまえ! くっそ、くっそ!」泣きじゃくりながら、漫画の本を床に投げつける息子。それだけじゃ収まらず、今度は自分の頭を壁に打ち付け始めました。「もうやめて! お願い、自分の身体を痛めつけるのだけはやめて……」

このままではケガをしてしまう! この子がいなくなってしまう! そんな感覚が全身を駆け巡り、全身が硬直したのを覚えています。とっさに息子をギュッと抱きしめました。

当時小2。私に羽交い絞めにされ身動きがとれなくなった息子は、今度はこぶしを握り腕を振り上げました。「あっ、殴られる!」そう覚悟して首をすくめましたが……。

そのこぶしで息子が殴ったのは、私ではなく自分の頭なのでした。

学校に行かないという選択

その日を境にぱったり学校に行かなくなった息子。夫と相談を重ね、息子の「学校に行かない」という選択を尊重することにしました。それ以降、いわゆる登校刺激(登校を促す言動をすること)をしなくなり、学校にもそのようにお願いをしました。卒業までの約5年間、息子が自分のクラスの教室に入れたことは1度もありません。卒業式はたった1人、校長室で執り行ってもらいました。

子どもが園や学校に行きたくない、行けないとなったとき、親は「この先、この子がどうなるのだろう」と心配になります。当時の私も、勉強についていけなくなるんじゃないか、友だちと遊べなくなるんじゃないか。それだけでなく、進学できないんじゃないか、就職できないんじゃないか、結婚できないんじゃないかなど、ありとあらゆる場面を思い描いては勝手に不安に陥っていました。

もしかしたら世間からすると「学校に行けないこと」は、そんなにたいしたことではないのかもしれません。実際に楽しく通っているお子さんもいらっしゃいますし、何をそんなに悩み苦しむ必要があるのかと不思議に思う人もいるでしょう。私自身も自分が学校に行きたくないと思った経験が少なく、息子の気持ちを理解するまでにずいぶんと時間が必要でした。長い間「今は行けないだけ。そのうち行くようになるよね」そうどこかで思っていたのです。

この子が生きてさえいてくれるなら

しかし不安になるたびに思い出すのは、あの日壁に頭を打ち付けていた息子の姿。おおげさかもしれませんが、我が子が自分の手で自分の身体を痛めつける姿は親にとっては目を背けたくなる光景でした。自分が命懸けで生んだ身体を傷つけないで! どこかそんな気持ちも生まれていました。同時に、こんなにも小さな身体で小さな心で苦しんでいる我が子を、私が命懸けで守らなければ。そんな決意が静かに芽生えたのです。

我が家では「学校には行かなくていい」と決断をしましたが、だからといって気持ちが晴れ晴れしたかというとそんなことはなく、以降も葛藤する日々が長く続きました。正直、親として正しい判断だったのかは今でもわかりません。学校に行かなくていいという判断をしたことで、息子の成長のチャンスを奪ってしまった可能性だってありますよね。

でも、この子が生きていてさえくれるなら、学校に行けないことなんてたいしたことじゃない。その思いは、あれから10年以上経った今でも変わりません。多くの人がまだまだ「学校に行くことが当たり前」だと考える世の中。そう見えるかもしれませんが、実際には我が家のように、学校に行けないで悩んでいるお子さん、親御さんはたくさんいらっしゃいます。そして誰にも相談できず自分たちだけで抱え込もうとしている人たちも多い。

不登校に限りませんが、人と違う決断をするのはほんとうに怖いですよね。世間から置いてけぼりにされてしまうような、孤立してしまうような、なんともいえない恐怖に包まれることもあると思います。でも、もし目の前のお子さんが今苦しんでいるのなら、どうぞ自分たちの「今の選択」を信じてほしい。しっかりお子さんを観察して「今、この子に何が必要か」を考えてほしいのです。ほんとうに苦しいときに親に守ってもらえたと感じた子どもは、いずれその子本来の力を取り戻し、自分の足で歩み始めることができるようになると思っています。動けないと感じる日々があっても、またそこをスタート地点に少しずつ親子で歩んでいけばいいと思うのです。

その後、我が家の息子はこんな風に育ちました。

文・編集部 編集・しらたまよ イラスト・Ponko

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