懐かしい「ザ・昭和」の風景といえば?子どもの頃の経験や体験したことを教えて
2019年5月1日、元号が平成から「令和」に改元されました。ママたちの中には昭和生まれで平成、令和と3つの時代を過ごしてきた方もいるでしょう。ママスタコミュニティには、ある投稿者さんが
『自分が子どもだった頃、元号が昭和だったという人は昭和の風景って覚えている? 私は雨の日に公園の土管の中で近所の子どもたちと捨てられていた子猫に、大人には内緒でお小遣いを出し合って買った牛乳を飲ませていました。楽しかったな。昔の公園は子どもたちだけで溢れていたんだ』
というトピックを立てています。昭和の時代を過ごしてきたママたちには「ザ・昭和」といえる懐かしい風景が思い浮かぶようです。
駄菓子屋さんは子どもたちが集う場だった!
ママたちから寄せられたコメントには、平成や令和の子どもたちからは想像がつかない遊びや風景がずらり。昭和を過ごしてきたママたちは思わず「懐かしい」という声が漏れてしまうかもしれませんよ。
ゴム跳びや虫取りをして遊んだなぁ
『じいちゃんが山で竹を切ってきて、竹馬を作ってくれた。空き缶を竹馬の代わりにして遊んだ』
『輪ゴムを繋いでゴム跳びをしたな』
『けんけんぱ、ゴム跳び、ハンカチ落とし、かごめかごめ、はないちもんめで遊んでいた。男女関係なく外で遊んでいたな』
今ほどおもちゃの種類が充実していなかったあの頃。材料を揃えて手作りのおもちゃで遊んだという方もいました。筆者も昭和生まれですが自分で工夫しながらおもちゃを作ったり、どうやったらうまくできるかを考えたりしながら遊ぶと楽しさが何倍にもなっていたことを思い出します。
駄菓子屋さんに行けば、満足できるほどのおやつが買えたよ
『軽トラで来て「○時から紙芝居するよ。美味しいおやつもあるよ~」って、ミルク煎餅やたこせんや水飴を売るおじさんがいたな。たぶん、紙芝居よりおやつを売るのがメインだったんだろうな』
近くに紙芝居を読んでくれるおじさんが来てくれていたというママもいました。紙芝居に聞き入りながら食べるおやつは、格別の味だったでしょうね。
『駄菓子屋さんで50円あれば、結構お菓子が買えたな。チョコドーナツときな粉棒、小梅ちゃんのあめ玉をバラで売っていたからよく買っていた。あとヨーヨーとかね』
『駄菓子屋で「おっちゃん、これなんぼ(いくら)?」「30万円(30円)!」って言われて50円玉を出したら「はい、おつり20万円!」って。そんなことで毎回みんな爆笑してた』
『アイドルの名前のシールを筆箱に貼ったり、好きなアイドルが載っている雑誌を切り抜いて下敷きの間に挟んだりしたな。なめ猫グッズも懐かしい』
『スケバン刑事のヨーヨーがほしかったなぁ』
駄菓子屋さんは子どもたちの憩いの場でしたね。1個5円でも買えるお菓子があったり、アイドルの生写真をくじ引き形式で選んで買えたりしたものです。駄菓子屋さんのおじさんやおばさんと話す会話ややり取り、お金の計算も駄菓子を買いながら自然と身についたりしましたね。
窓からテレビの音や人々の話し声が聞こえた!
『夕方に習いごとから帰るとき、夏は窓を開け放してある家がほとんどで、テレビの野球中継の音が聞こえたり、夕ごはんの仕度のにおいがしていたりしたな』
『夏は野球のナイター中継があったけどつまらないし、中継が延長になることもあった。その後の番組の開始時間がズレてビデオの録画予約もズレた。昔のビデオデッキは時間がズレても、予約した通りの時間に録画が始まっちゃうから、何度泣きを見たことか』
夏は窓を開けて過ごす家もありましたね。窓からテレビの音声が漏れてきたり、野球中継などを見ている人の歓声が聞こえてきたりしたものです。
『聞きたい歌があれば、テレビの歌番組で歌ってるのをラジカセを使って録音した。テレビのチャンネルはカチャカチャ回すダイヤル式だった』
『音楽はCDじゃなくて、レコード。シングルはA面(表)とB面(裏)に分かれていた』
昭和は歌番組の放送も充実していましたね。好きなアーティストやアイドルの出番が近づくと、ラジカセを使って音源をダビングしたというママもいるのでは? テレビの音だけではなく家庭内の音という音はすべてダビングされてしまうので、声も音も立てないようにしていたものです。
(参考:広辞苑第七版「ダビング」)
スーパーやデパートじゃなかった!?どこで買い物していたの?
食材の調達といえばスーパーマーケット、電車やバスなどの公共交通機関の利用は自動改札に交通系ICカードをかざして料金を支払うことができる現代。対する昭和の時代は買い物をする場所も、駅や映画館などの施設も今とは異なる様相でしたね。
活気があって、賑わっていた商店街
『スーパーはなくて肉屋や豆腐屋、八百屋、魚屋とか個人の商店ばかりだった』
『お正月の3日間は市場もスーパーも商店街も必ず休むから、年末に買いだめしていた』
『スーパーのレジが手打ちだった。商品に貼っているシールの値段を打ち込んでいた。そろばんで計算する店もあった』
個人商店の前では、店主が活気ある声で呼び込みをして賑わっていた商店街。そろばんで計算をしてくれたり、バーコードがなかったのでレジも手打ちだったりしました。年末年始にかけて閉店する店があり、年末は買いだめをする人で賑わうこともありましたね。
銭湯も映画館も昭和ならではで、愛着があったな
『自動改札がない駅があって、駅員さんが切符を切ってくれた』
『車が通る道路は整備されているけど、路地に入ると土やセメントの舗装だった。雨が降ると水たまりがあちこちにできてたな』
『おばあちゃん家に行ったときは、近所の銭湯に行くのがお決まりだった。瓶のコーヒー牛乳が美味しかった』
『映画は途中からも入れるし、指定席がなくて立ち見もあった。東映アニメまつりで立ち見してたときは、見えないから肩車をしてもらった』
駅では駅員さんが「切符ばさみ」をカチカチとリズミカルに鳴らして、楽しませてくれましたね。ほかにも銭湯や映画館、道路事情などに思い出があるママたちもいました。
現代よりも不便だったけど、楽しかったよ!
『めちゃくちゃアナログな時代だったけど楽しかった! ありがとう昭和!』
『今より不便だったけど、それでも昔に戻りたいくらい平和だったな』
昭和の時代を過ごしてきたママたちからは「昭和に戻りたい」「ありがとう昭和」という声もあがっていました。筆者も昭和生まれです。思わず「あった、あった」とうなづきながらママたちのコメントを読みふけってしまいました。
昭和生まれのママたちには懐かしい風景も、平成生まれのママたちには少し衝撃的なこともあったでしょうか。昭和という時代は、不便さを感じても人情味が感じられて過ごしやすかったと思う方もいるかもしれませんね。みなさんもたまには子ども時代のことを思い出して、癒やされてみませんか。
文・藤まゆ花 編集・Natsu
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