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私には「家」が2つあった……放置子同然だった私が道を踏み外さなかった理由

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母はパチンコで不在。父はお酒を飲んで寝てるだけ。それが私の「自宅」でした。

「自宅」にはご飯を作ってくれるお母さんはいないので、私が夕食を作ります。お父さんは小さな弟と遊んでくれないので私が寝るまで相手をします。

0時になっても帰ってこない母の代わりに、目を離すと酔って寝タバコをしながら眠り込んでしまう父の代わりに、私が火の始末と戸締りをしました。眠るのが深夜になることもありました。

「自宅」へ帰ると私がお母さん、お父さんにならなければいけなかったのです。当時は「自宅」へ帰ると、仕事も責任もたくさんあって、疑問を感じる暇もありませんでした。しかし心のどこかでどこかで安心できる場所が欲しくて、友達の家に入り浸っていたのだろうと思います。

そんな私の生育環境を人に話すと、「よくグレなかったね!」と驚かれます。確かに、私に「自宅」しか居場所がなかったら、どこかで道を誤っていたかもしれません。

私が道を踏み外さなかったのは、友達の「家」があったから。友達の両親が、休日の遠出にも連れて行ってくれるほど可愛がってくれて、温かい家庭に居る時間を与えてくれたからこそ、今の私があるのだと思います。

最近よく聞く「放置子」などのワードにはドキっとさせられます。友達一家とは今はもう離れてしまい、当時のことを聞くことはできませんが、相当迷惑をかけていただろうなと思います。大人になった今、友達とそのご両親に申し訳ない気持ちにもなってしまいます……。

しかし何も聞かず、家族の一員のように育ててくださったことには、とても感謝をしています。当時の友達の「家」が私の理想の家庭です。

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文、イラスト・Ponko

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