古坂大魔王:第6回 学校では人を笑わせることで、人気者になれたんです
『PPAP』という楽曲で世界的ブームを巻き起こしたピコ太郎さんのプロデューサーであり、AAAとのコラボや、歌手の鈴木亜美さんの楽曲をリミックスするなど、多方面で才能を生かし活躍している古坂大魔王さん。今回は古坂さんの子ども時代についてお話を伺いました。いったいどのように育てたら、古坂さんのようにマルチな才能を発揮できるようになるのでしょうか。
100点以外認めない。母親が教育ママになったワケ
――古坂さんのお父さんとお母さんは、どのような感じの方なのでしょうか?
うちの父親は放任主義。母親は一言でいえば教育ママでしたね。個性を伸ばすという感じではなかったかな。母親から「好きなことをしろ」とは言われていたんですけど、母親の「好きなこと=勉強を好きになれ」ということだったんですよ(笑)。だから母親の機嫌をとるために必死で勉強はしましたけどね。
――「100点を取ったらご褒美があるけど、それ以下の点数はなし」だったとか?
そういうこともありましたね。古坂家は、劣等感からはじまっているんですよ。母は元々漁師で、青森の中でもとくに田舎に住んでいたんです。僕が生まれたときは青森市に引っ越したけど、両どなりに住む家族の親は大卒で、うちの両親は中卒。うちの母親は負けず嫌いで体力はあるけど学がない。だから子どもたちにはスパルタ教育をしたんです。
母親は「100点しかダメ! 7位や5位でも、上には誰かいる」。銀メダルを取っても「銀か。1回負けたんだ」というんです。その言葉に腹が立って「いつか見返してやる!」という気持ちで勉強をがんばっていました。
頭のいい兄と器量のいい弟に挟まれた次男の気持ち
――お兄さんと弟さんもいるんですよね。兄弟は仲がいいですか?
そうですね。でも、兄は銀行員で弟は大学教授になり、僕だけお笑い芸人をやっています。
――兄弟3人いると、真ん中は変わっている人が多いといいますよね(笑)。
そうですね。兄貴は母親からやれといわれたことをまじめにやる。弟はすごくかわいがられていて、素直で優しい。お兄ちゃんはえらい、弟はかわいい。俺は……? お兄ちゃんほどえらくないし、弟ほどかわいくもない。洋服も、いつも兄のおさがりを着ていたけど、僕は暴れん坊だったからすぐにやぶれてしまうんです。だから弟は新しい服を買ってもらえる。兄と弟は新品。俺だけお古。だから僕は兄弟のなかでも特に劣等感があったんですよね。
兄貴は身長が僕よりも大きいからケンカでも絶対に勝てない。何か勝てるものが欲しい。だったら面白いことで勝てるかもしれないと思ったんです。
お笑いの原点は幼稚園の学芸会。会場が笑いの渦に
――お笑いに目覚めたのはいいくつぐらいのときですか?
幼稚園の学芸会のときです。桃太郎の劇でサルの役をやったんですけど、本番でタイツを前後反対にはき、しっぽを前にもってきたんです。それで舞台の上で尻尾をぐるぐるふり回したら、会場で爆笑されて。それがすごく快感だったんですよ! 家に帰って母親には叱られましたけどね(笑)。
小学校3、4年生の頃はクラスのみんなを笑わせ、6年生のときに地元のラジオ放送にデモテープを送ってラジオ出演させてもらったりもしました。僕、お笑いって最強だと思うんですよ。学校では特にけんかが強いわけでもない。勉強もそこまでできない。だけど、人を笑わせることで、人気者になれるんです。
お笑いをやる人ってイケメンではない人が多いんですけど、人を笑わせることによってモテないやつが急にモテるようになるんですよ。笑いを取った日の夜は興奮して眠れない。とにかくウケたい。その一心でした。その原動力があったからこそ、今日までやってこれたのかもしれませんね。
『PPAP』のピコ太郎さんをプロデュースしだだけあって、かなり個性的な古坂大魔王さん。その源は幼少期の家族や友達関係の中で育まれていったようです。次回は、古坂さんに大きな影響を与えたと思われるお母様のことについてお伺いします。お楽しみに!
取材、文・長瀬由利子 編集・山内ウェンディ