突然やってきた父の認知症……親の介護と乳幼児の育児・ダブルケアの大変さ
母との離婚後、私とは10年ほど疎遠になっていた実父。遠方ゆえ、会うのは1年に1度くらいでした。
まだ60代も前半、元気にしていると思っていたら、その日は突然やってきました。
上の子の入園準備で慌ただしく過ごしていたなか、父の近くに住む伯父から「父が行方不明だ!」と突然電話がありました。
聞けば、様子がおかしいというご近所さんからの連絡により、病院に無理やり連れて行ったら、病院から逃亡したとのこと。その後、警察から転んで血だらけの状態で身柄確保の連絡がありました。電話をつないでもらったら父は私のことがわからない!? 話す内容も支離滅裂で意味不明でした。
電話の翌朝、3歳1歳の娘を実母にあずけ、新幹線に飛び乗って様子を見にいき、そこで目にしたのは……
荒れ放題の自宅、やせ細り転んで歯のなくなった父の姿、着衣も乱れていました。
一体何が起こったの!?
話は噛み合わず、変わり果てた父の姿に涙が止まりませんでした。疎遠になってしまったことへの後悔や置かれた状況の辛さ、あらゆる感情が一気に押し寄せてきたのです。
その日は子どものこともあり、伯父にいろいろ託し、最終の新幹線でなんとか日帰りをしました。
数日後、伯父の説得で父が再び病院に検査に行ってみると……なんと「認知症」でした。
まさか私の父が若くして認知症になるなんて!
ショックで言葉も出ませんでした。ご近所さんの「様子が変だ」というのは認知症が日に日に進行していたということでしょう。孤独に過ごしていた父の異変にすぐに気付いてあげられる人はいなかったのです。
病名がわかってから、私の生活は一変しました。
父の介護生活の準備、父の家の処理、父が営んでいた自営業のクロージングなど、やることが山のようにありましたが、疎遠だったゆえ、父が当時置かれた状況が分からず、関係各所に電話をかけまくり、一人で作業をし続ける毎日。特に把握していなかったお金まわりは手続きが煩雑で大変でした。
これらの膨大な作業、幼子2人を抱えながら遠隔、ときには日帰りで進めるのは、本当に負担の大きいものでした。
まず時間を捻出するのが至難の技。長時間電話をするだけで子どもには相手にしてくれないと愚図られ、思うように作業が進まない。子どもが寝た後に、介護制度や父の病気についてあれこれ調べ続ける毎日。
父の元に日帰りする日は、毎回朝4時起きで帰りは最終便。心身ともに疲れ切ってしまいイライラして、子どもにあたってしまいそうになり後悔したことも幾度となくありました。泣いた夜も数知れず。夫が協力的で助かりましたが、実父のことで家族に迷惑をかけている気がしてさらに落ち込むこともありました。
遠方の父の世話と幼子の育児。初めてのことが次から次へ降りかかり、記憶のないくらい必死の毎日でしたが、1年が経った頃、ようやく全てが落ち着きました。
親の介護と子育てを同時に担う「ダブルケア」がまさか私の身に起こるとは思ってもみませんでした。少子化と高齢化が同時進行しているなか、他人事ではない方も多いのではないでしょうか。
険悪だった父との過去もあり、心身ともに参った時には、この状況を恨み続けた日々もありました。既に父とは縁を切っている母と妹から、「私が潰れてしまうようなら縁を切るのも選択肢」と言われたこともあります。
しかし介護経験のある伯父に「しんどいだろうけど、自分自身の人生に悔いを残さないように。いま頑張れば後で気持ちが楽になることもあるよ」と言われ、父の最期までみることを決意しました。
自治体や病院、様々な人に助けられ、何より子どもの笑顔に支えられ、私は今日も笑顔で過ごすことができています。
育児で心が疲れきることもありますが、父の介護を続けるなか、子どもと過ごす何でもない1日がとても尊いものであることが身にしみています。
いろいろあったけど、父には生きてきたことに意味を感じて最期を迎えてほしいと思っています。
各所で言われている通り、介護は絶対に一人で抱え込まないことが重要だと痛感しています。あらゆる手を借り、なくせる負担はなくした方が良いと思います。大切な家族のためにも、ママが心身ともに健康で笑顔でいることが不可欠ですよね。
今親御さんが元気なご家庭も、いつかはやってくる老いに備えて話し合う機会がぜひ持ってください。お互いが負担を軽くできる未来が過ごせるかもしれません。
脚本・rollingdell イラスト・ゆずぽん