【江東区・大久保朋果区長】第2回 「今の時代、子どもをもちたいと思えない」娘の言葉が私を変えた | ママスタセレクト - Part 2

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【江東区・大久保朋果区長】第2回 「今の時代、子どもをもちたいと思えない」娘の言葉が私を変えた

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東京都庁で長年、福祉や子育て支援に携わってきた江東区の大久保朋果区長。政治の道を選ぶきっかけは、娘との何気ない会話だったといいます。今回は、区長に立候補するまでの経緯や、影響を受けたご家族について伺いました。

「結婚して子どもをもつのは幸せなこと」と伝えてきたけれど……

──区長として政治の道を志すきっかけは何だったのでしょうか。

大久保朋果区長(以下、大久保区長):直接のきっかけは、当時、高校生だった長女の言葉でした。東京都庁の職員として長年、福祉・保健・政策の分野を担当し、「結婚支援」や「子育て支援」に関わる施策づくりにも携わってきました。

そんなとき、娘から「今の世の中、私たちが“子どもをもちたい”と思えるような環境じゃない」と言われたのです。

── その言葉を聞いたとき、どんな気持ちになりましたか?

大久保区長:私自身、結婚して仕事をしながら夫と一緒に2人の子どもを育ててきました。大変なことも多かったけれど、結果的にはとても幸せでした。

それもあって、娘には「結婚して子どもをもつのは幸せなことだよ」「本当にいいものだよ」とよく話していました。それまでは「うん、そうだよね」と言っていた娘が、ある時期を境にそうではなくなって……。

── 娘さんの変化に、世代のギャップのようなものを感じられたのですね。

大久保区長:そうですね。娘の言葉を聞いたときに、「ああ、今の若い世代はこう感じているのか」と、その言葉がずっと心に残っていました。昔に比べれば、社会はよくなっているはずなのですが、それでも若い女性にとっては不安があったり、なかなか結婚に踏み切れなかったりする現状があるんだと感じました。

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決断までわずか数時間。「清水の舞台から飛び降りる」覚悟で挑んだ初選挙

── そこから、政治の道へと進まれたのですね。
(第2回)初登庁①

※江東区提供

大久保区長:私は都の職員として制度を整える側にいましたが、都庁というのは広域行政。住民一人ひとりに直接届けることが難しい立場でもありました。

「もっと現場に近いところで動きたい」と思っていたタイミングで、江東区長選の話をいただいたんです。迷いはありましたが、「これだ」と思い、立候補を決めました。

── ご家族にはどのように伝えたのですか?
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大久保区長:実は選挙が急に決まったということもあり、決断までに数時間しかなくて主人にしか相談できなかったんです。もともと家庭でも政治や社会の話をよくしていたので、主人は驚きながらも「そういう気持ちがあるのはわかっていた。せっかくの機会なんだから、がんばってみれば」と背中を押してくれました。

最後は本当に「清水の舞台から飛び降りる」ような気持ちで決断しました。娘たちも応援してくれて、周りに支えられながらなんとかやっています。

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「昭和のおばあちゃん」がくれた、社会を変える原点

── ご両親やおばあさまの影響も大きかったそうですね。
(第2回)区長祖母

※江東区長より提供

大久保区長:両親はふたりとも教員で、子どもを社会全体で育てるという考えをもっていました。その影響もあり、学生時代には児童相談所などでボランティアをしていて、そこでさまざまな家庭の事情を抱える子どもたちと出会いました。

また友人のなかには、親とうまくいかず悩み苦しんでいる子もいました。子どもにとって親の存在は大きい。でも親にも事情がある。どちらが悪いというわけではないけれど、すれ違ってしまうこともある。それでも家庭環境だけで子どもの将来が決まってしまうのは違う――そう強く感じました。

── 大久保区長のおばあさまも、政治に関わるお仕事をされていたそうですね。

大久保区長:祖母は、女性の参政権を実現させた運動家であり政治家の市川房枝さんの秘書をしていました。普段はこたつで猫を膝にのせているような、穏やかな“昭和のおばあちゃん”そのもののような祖母でしたが、女性の権利のために強い信念をもって生きた人でもありました。

私が大学生の頃、高校の社会科の教育実習で「女性の参政権」を教える授業を行ったんです。そのとき祖母に「当時どんな活動をしていたのか」「どんな思いでいたのか」をインタビューして、カセットテープに録音。「今から私の祖母のリアルな体験談を流します」と言った瞬間、いつもはざわついている生徒たちが一斉に静まり返って耳を傾けてくれました。

やはり“リアルな声”は人の心に響くんだと感じた瞬間でした。そのとき改めて祖母の活動や生き方が、自分のなかで根っこのように残っているんだなと感じました。

子どもたちがどんな環境で生まれても、社会全体で受け止めていける世の中をつくりたい。その思いが、今の私の原点です。

※取材は2025年10月に行いました。記事の内容は取材時時点のものです。

取材、文・長瀬由利子 編集・いけがみもえ 撮影・編集部

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