次男を出産後、長男をかわいがれなくなった私が救われた1冊の絵本―『ちょっとだけ』
みなさんは『ちょっとだけ』という絵本をご存知ですか?
なっちゃんの おうちに あかちゃんが やってきました。
なっちゃんは おねえちゃんになりました。
おかいものに いくとき、
なっちゃんは ママと てを つなごうとしました。
でも、ママは あかちゃんを だっこしているので
てを つなげません。
なっちゃんは ママの スカートを
“ちょっとだけ”つかんで あるきました。
牛乳を飲みたいときに、泣く赤ちゃんにミルクを用意しているママ。
ボタンをとめてほしいときに、赤ちゃんを寝かしつけているママ。
髪の毛を結んでほしいときに、赤ちゃんのオムツを取りかえているママ。
いつも赤ちゃんのお世話で忙しそうなママ。
自分でなんとかがんばり、“ちょっとだけ”成功する長女なっちゃんの姿はとても健気です。
次男を出産後、長男をうとましく感じるようになった私
筆者にはもうすぐ5歳と2歳になる息子がいます。出産すると「赤ちゃんを守らなければいけない」という本能が働くため上の子をかわいがれなくなる時期があると言いますが、筆者も例外ではありませんでした。出産後、毎日の育児に明け暮れているうち、いつの日からか長男を うっとうしく感じている自分に気づき、愕然としました。いちばん私の頭を悩ませていたのは、授乳を阻止しようとする長男の態度でした。添い乳で授乳をする私と次男の間に、長男が無理やり入ろうとするのです。おっぱいが飲めず、次男はたびたび泣き続けることとなりました。頭に血がのぼった私が、思い切り長男の頭を叩いたことも一度や二度ではありません。
次男の上に乗る、次男を転がす、次男によだれを垂らす……。長男の態度は私の目に余りました。「赤ちゃんだから気をつけてほしい」とお願いするも収まらず、「それならばきつく伝えなくては」と大声で叱りつけ……それでも収まらなかったのです。
母親になってから「図太くなった」と夫に言われ続けた私。しかし、このときばかりは「長男がかわいくなくなった」という変化に想像以上の絶望を感じ、涙が出ました。
「さみしい」と泣き続ける長男
そして出産から1ケ月ほどたったある日の夜。次男はすでに寝入り、久々に長男と2人くっついて布団に入りました。
気がつくと、長男がしくしくと泣いているのです。「さみしい」と言っていました。小さな声で「さみしい」を繰り返し、普段長くは泣かない長男が、泣きやむ素ぶりを見せませんでした……。
私には頭を思い切り殴られたような衝撃がありました。茫然としながら「ごめんね」を連発し、長男を抱きしめる自分が無能な母親に思えました。
長男の「さみしさ」を無視していた私
どうして長男のさみしさに気づいてやれなかったのでしょう。思えばサインなどいくらでも出ていたのに……。
そんなあるとき私は、かつて読んだ『ちょっとだけ』の内容を思い返していました。
おそらく私は心の底で、長男に向かってこう言っていたのです。「ママがいちばん大変なのだから。あなたにはこれまで十分愛情をかけてきたでしょ? 今は赤ちゃんに時間を使わせてちょうだい」と。
なんて身勝手なのでしょうね。みんな大変なのです、勝手に「お兄ちゃん」にされる長男も、この世界に出てきた赤ちゃんも、初めて2人の子どもの育児をするママも。とくに長男の未熟な精神の中では、‟兄になろうとする気持ち”と“ママを独り占めしたい気持ち”がせめぎ合うわけですから、その荷はそうとう重いはずです。
胸にわだかまるものの正体は「大切なときに自分ができたはずのことを怠った」という後悔でした。長男の気持ちをくもうとしなかったという後悔です。
長男に「おっぱいは寝ながらじゃなくて、座りながらあげて」と言われたことが何度かありました。座りながらの方が話がしやすいなど、自分に気持ちが向けられていると感じたのでしょう。さほど難しいことでもないのに、私は聞き入れませんでした。私は無意識にそうしたことをくり返していたのでしょう。
長男が泣いた夜から、私はできるだけ長男の気持ちに寄り添うようにしました。産後約2年たった今ではあの頃よりずっと良い関係になりました。
長男は、あの頃には想像できなかったほど兄らしくなりました。そんな長男を頼もしく思う毎日を過ごしています。
文・編集部 イラスト・藤森スズメ
引用・参考:『ちょっとだけ』※クリックでAmazonへ
瀧村有子 作/鈴木永子 絵
出版社: 福音館書店 (2007/11/15)