<大人のジブリ>『火垂るの墓』親になって気づいた、親戚に気を遣って生きていくことの残酷さ
自分自身が子どものころに公開され、何度も観たことがある映画。その映画が名作であれば、わが子も同じくらいの年齢になって鑑賞する機会があるかもしれません。ママスタコミュニティにこんな投稿がありました。
『小4の娘が学校で『火垂るの墓』を観たって。娘が話すから涙が出てきた。戦争の学習の予習としてらしいけれど、今でも観るんだね』
投稿者さんの娘さんが学校で観てきた『火垂るの墓』は、1988年に公開された映画。14歳の清太とその妹の4歳の節子は戦争で親を失い、親戚の叔母さんに預けられるもその家を出てしまいます。きょうだい2人での生活が始まりますが、やがて節子は栄養失調になり衰弱し、清太もまた……。節子の魂を象徴するかのように飛び交う蛍の美しさと儚さ。涙なしでは観られない映画の一つではないでしょうか。『火垂るの墓』公開当時には生まれていなかったママでも、テレビで繰り返し放送されている映画ですから、テレビで観たことがあるかもしれません。
叔母さんはひどい人?
コメントを寄せてくれたママのなかには「辛すぎて観られない」「一度観れば充分」などの声もありました。しかし投稿者さんは何度か観たことがあるようで、こんなコメントを返しています。
『子どものころは、ひどい叔母さんだと思っていた。でも今は、食べることに必死だったんだと理解したよ』
筆者も投稿者さんと同じように『火垂るの墓』は何度も観ました。初めて観たときはやはり「叔母さんが自分の子と同じように清太と節子に接していたら、清太は家を出ようなんて思わずに暮らせたのに。ひどい叔母さんだ」と思いました。ただその気持ちを一緒に観ていた母に話したところ、母に「叔母さんは悪くないと思うよ」と一蹴されてしまいました。「え?」と違和感を覚えたものの反論せずそのまま母の感想を聞き、そういうものかなと納得しきれないまま話を終わらせた記憶があります。
子どもだけで生きようとした清太
それから10年くらい経って社会人になってから、テレビ放送されていた『火垂るの墓』を観る機会がありました。大人になってから観る『火垂るの墓』。子どものころと同じ映画のはずなのに、筆者は清太と叔母さんに対して全く違う感想をもつようになりました。「清太はどうして、叔母さんを助けながら一緒に暮らそうと思わなかったのかな?」と。
清太の母親が「もしもの時には頼れ」と言い残したのが叔母さんです。叔母さんは決してひどい人ではなかったのではないでしょうか。実際に叔母さんは戦時中の食糧難のなかで、充分ではないにしても自分の家族の分だけでなく、清太たちの分の衣食住も世話してくれました。清太がもっと叔母さんの力になれるよう努力すれば、2人とも生き延びることができたかもしれません。子どもだけで生きようとしたり食べ物を盗んだりするよりも、清太がやるべきことはもっとあったのではないでしょうか。
『清太はボンボンやったんやな』
ママたちのコメントのなかには、こんな言葉もありました。
誰かのせいで悲劇が起きたのではなく
そして更に10年以上経ち、中学生の子どもをもつママとなった今は、14歳の清太には過酷すぎる現実だったと思うようになりました。もしも今、自分や旦那がいなくなったら、14歳の息子は引き取ってくれた親戚に恩を感じて気を遣って生きていけるのでしょうか? 筆者自身そんなことができるようにわが子を育てられなかったですし、そういうことを考えながら子育てしているママは滅多にいないのでは? また自分が叔母さんの立場になったとしたら、親戚の子を迎え入れられるのかというと……それも綺麗事では済ませられないと思うのです。
子どもをもつ身になって改めてこの映画を観ると、清太にも叔母さんにもさまざまなやりきれない思いがあったと思わずにはいられません。この映画には「誰かが悪いと決めつけないでほしい」そんなメッセージがあるように感じられるのです。
語り継ぎ考えたい戦争と平和
ジブリの映画には『火垂るの墓』以外にも、『風立ちぬ』など戦争を扱った作品があります。日本が戦争の当事国だったのは、もう何十年も昔のことですが、世界に目を向ければ今も戦禍の国や地域があります。どこかの国に清太や節子のような子がいるかもしれません。映画を観て、お子さんの年齢に応じてわかりやすく説明も加えながら、戦争や平和について考えるひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか。
文・間宮陽子 編集・千永美 イラスト・Ponko
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