息子を3カ月で保育園に預けた日、私は「よき母像」を捨てた
保育園への入園ができなかった待機児童が話題になる一方、4月からの入園が決まり職場復帰のカウントダウンに入ったママも多いでしょう。今までベッタリ一緒だった子どもと離れるのがさびしかったり、罪悪感を感じる人もいるかもしれません。実は私もちょうど1年前、第二子を生後3カ月で保育園に預け、仕事に復帰したフルタイムのワーキングマザーです。
もうこの時点で「え! 3カ月なんて子どもがかわいそう」という声が聞こえてきそうですね。
入園を決めたのは保育園の入りやすさや職場でのブランクを考えて、夫婦で決めたことでしたが、首すわりもままならない赤ちゃん預けて復帰したときは、私自身にもさまざまな葛藤がありました。そこで、これから復帰するママに向けてどうやって自分の内外の「かわいそう」をスルーしたのか、(つまりは開き直ったのか)をお伝えしたいと思います。これから仕事復帰するママが少しでも気持ちを軽く、仕事に復帰してくれたら本望です。
私の中の「よき母親像」とは
母が専業主婦の家庭に育った私は、2年保育の幼稚園に行くまでは家庭内のみで育ちました。当時の記憶はないものの、幼少期を過ごした1980年代は歴史的に見ても専業主婦がもっとも多かった時代。私が知っている母親というものは子どもが小さいうちは家にいるイメージで、自分のことはいつも後回しにして子ども最優先する人でした。
ところが、母親となった自分を客観視してみれば、まったく「理想の母親像」とはほど遠く、子どもが小さいうちどころか、首も座らぬ赤ちゃんを保育園に預けて働こうとしていました。3カ月で保育園に預けることは保育園事情など旦那とよく相談の上でした。でも経済的にはそこまで逼迫しているわけでもなかったので、「私って母親としてどうなの? 母性が欠けているの?」と自問し、どこか子どもに対する罪悪感をぬぐい切れずにいました。上の子が通う保育園のママにも、同じワーキングマザーでありながら「え? そんなに早く預けるの?」という人もいて、自分の中でもせっかく決まった保育園なのに、「もっと一緒にいた方が……」と決心が揺らぎそうにもなりました。
子どもと親の「よき母親像」は違う
そんなモンモンとした気持ちを抱えながら、職場復帰を控えたある日のこと。上の子にポロッと「(下の子は)保育園に通う赤ちゃんで一番小さいんだけど、ママってひどいかな?」と聞いてしまったのです。ところが上の子は「なんで? ママはお仕事がんばるんでしょ! ひどくないよ。大好きなママだよ」と涙の出るような答えをくれました。
そこで私は気づきました。私が思っている「よき母親像」は子どもたちが思っている「よき母親像」とはまったく違うのだということに。
私は専業主婦でいた母に感謝の気持ちと「よき母親像」を持っていますが、きっと子どもたちもまた(少なくとも現時点では)小さな子どもを預けて働く私に、頑張って仕事をする「よき母親像」を持ってくれているのでしょう。そもそも私の中の理想像は世間体とか、「よき母に思われたい」という気持ちからくるものだとも気づかされました。
よく親が「かわいそう」と思って接すれば子どもは自分が「かわいそうな子」だと思う、と言われますが、まさか自分がやってしまっていたなんて。子どもたちにとても失礼なことをしていたのだと反省しました。
「母親の理想像」はもういらないかもしれない
自分の育った家庭以外の「母」を知る機会はそうありません。よくも悪くも「母親像」の典型は生まれ育った家庭によるところが大きいもの。そう思うと、上の子(娘)が将来母親になったとき、やっぱり私は自分の好きなことをやり続けてほしいと思っています。最近、娘は将来の夢を、「ケーキ屋さん」だの「お医者さん」だのと楽しそうに語ってくれています。もし将来、娘に子どもが生まれたら、私の抱く「よき母親像」のように、「母親は子どもを最優先で自分のやりたいことは二の次にすべき」という世の中だったらどうなのでしょう。きっと私と同じように苦しむのではないか。もちろん本人が育児最優先で他のことはやりたくない、というのなら、それも認められる世の中であってほしいとも思いますが、「母親はこうあるべき」という理想の母親像はむしろない方がよいのかもしれません。
そのためには安易に私自身が「何もかも我慢する」という姿を見せるのは、むしろマイナスなのではないかと開き直りました。育児にまい進するもよし、やりたい仕事をするもよし、多様な母親の姿があるのだということを娘には知ってほしい。というわけで、私は娘のためにも(私の勝手な先入観の中での)育児は二の次のダメ母親像を貫いてみることにしたのです。まあ、言い訳ともいえますし、それでも将来娘には「生後3カ月はないわぁ」と言われそうですが、そのときは「でもそうしないと、保育園入れなかったんだから!」と返したいと思います。その時代には「へぇ、今じゃ希望者全員入れるのにね!」なんて時代になっていてほしいものです。
文・犬山柴子 イラスト・めい