子どもが語る将来の夢。それ、本当に子どもの夢?
「うちの子、お勉強が好きみたいで」「うちの子、ピアノが大好きで」そんな言葉を耳にするたび、「本心だといいけど……」と思ってしまう私がいます。
嫌いな習い事に通うことを、「いやだ!」とはっきり表現できる子もいますが、なかにはそれほど好きでもないけれど、ママやパパが喜ぶという理由で「◯◯だいすき!」と言っているお子さんもいるかもしれません。
実家にて
実家に帰ったときに、私が小学校二年生の時の文集が出てきました。ちょうど小学校二年生の娘がいるので、「どんな二年生だったのかな?」と軽い気持ちでその文集を開いてみました。
「2年3組◯◯◯◯しょうらいのゆめ
私は、おべんきょうがだいすきです。しょうらいは、ノーベル賞をとりたいです。
私は、ピアノがだいすきです。まいにち何時間もれんしゅうしています。しょうらいはピアノの先生になりたいです」
その文章を見て、胸が熱くなりました。
なぜなら、私は当時、勉強もピアノも嫌いだったからです。父は理科系の仕事で、母はピアノの先生。その影響を一身に受けていたのです。
親の意向に沿っているだけではないか
まだ子どもに何が向いているかわからない時期に、とりあえず親の意向で始めさせる習い事。続けていくうちにお友達ができ、先生にも褒められて、子どもは「楽しい!」「だいすき!」と言うようになってきます。
そこまではいいのですが、だんだん欲が出てきて、◯◯級へ、コンテストへとヒートアップしてきます。途中で「やめたい」とは言い出しにくい雰囲気がある、または、自分がやめたいのか続けたいのかもわからないまま流されて頑張っている、という場合もあります。子どもには他の選択肢がないから、大好きなパパやママの勧める道に訳もわからずついてきているかもしれません。
「私の夢でもあったんだよね。だから子どもも同じ夢をもって頑張ってくれて嬉しい」と思っているママ、パパ、ちょっと立ち止まってみませんか?
子どもの目線で考え直してみる
親の歩幅を時々、子どもに合わせてみましょう。子どもをよく観察して、子どもの目線で、考え直してみる。無理をさせすぎていないか。その無理は、子どもの意向と真逆のものではないか。
試しに「今日、ママが疲れちゃって送っていけないから、◯◯お休みしてもらえる?」と聞いてみましょう。「うん、いいよ!」と即答する場合は、その子が本当に夢中になっている習い事ではないかもしれません。
時折、子どもの気持ちを確かめてみては?
もちろん、ピアノをやっていたから音大に入れた、勉強を頑張った結果大学に入れた、希望の職種に就けた、だから親に感謝している、という人もいます。親のコントロールをすべて否定するつもりはありません。
ただ時折、大事なものを見落として突っ走っていないか、親の気持ちのほうが勝っていないか、確かめていくことはとても大切かなと思います。
私の場合は、本当は体操ではなくバレエを習いたかったこと。ピアノをやめたかったこと。それを言い出せなかったこと。お勉強なんて大嫌いで、中学になったら成績がガクンと落ちたこと。けれども行きたい大学を自分で見つけたときには、親に言われなくても頑張れたこと。それらを踏まえて、娘の気持ちを逐一確認して前に進むようにしています。
文・yuki イラスト・くずり