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<ダメな言葉?>「かわいそう」と言ったら「性格悪い」と返された…見下しているのではないのになぜ?

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誰かの置かれた状況を見て、ふと「かわいそうだな」と感じた経験はありますか? ところが、その言葉を口にしたとたん「見下している」と受け取られてしまうこともあります。善意のはずの感情が、なぜ批判の対象になるのか。ある投稿をきっかけに、「かわいそう」という言葉を巡るさまざまな意見が集まりました。

『みんなも誰かのこと、かわいそうって思うことがあるよね? 「かわいそうに」って言ったら性格悪いって……』

投稿者さんは、戸惑いを語りました。思いやりのつもりでも、受け取り方次第で言葉の意味は真逆になるようです。

かわいそうと思うことはある、でも言葉にすると…?

これに対し、まず見られたのが、思うこと自体は自然との声でした。

『病気で倒れたり、思うように生きられないのは気の毒だと思う』

『義親と同居して心を病んでいるママを見るとかわいそうと思ってしまう』

『しつけされていない子どもを見ると、教育してくれる親がいないんだ、かわいそうと思う』

困難な状況にある人に対して「かわいそう」と感じ、その気持ちが寄付や支援につながる場合もあるかもしれません。感情そのものを否定する声は、あまりありませんでした。一方で、ママたちが口をそろえたのは、「思うのと口に出すのは別」という点です。

『思うことはあっても、本人に向かって言う言葉ではない。とくに大人に対しては、口にした瞬間に失礼になる』

『かわいそうを簡単に口にする人は、自分が周りから優しい人と思われたいだけ。苦労やツラさがわかる人は、簡単に他人にかわいそうとは言えないよ』

『他者に同情したシーンで、自分の気持ちに優越感はなかったかと考えることがある。場面によっても使い方によっても変わるから難しいなと思うよ』

「かわいそう」と言うことで、優しさを見せられる立場にあるような構図が生まれてしまう。それが違和感につながるのでは、という見方です。

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「かわいそう」がイヤミや見下しとして受け取られる場合

さらに議論を深めたのが、「かわいそう」がイヤミとして使われるケースです。

『見下しているからではないの?』

『その瞬間、自分が幸せだと実感できるから言っているだけでは』

こうした意見からは、「かわいそう」が同情ではなく、優越感や評価を含んだ言葉として使われている現実が浮かび上がります。

『私は山ほど食物アレルギーがあるので、その言葉を言われ続けた。8歳の頃から嫌いな言葉』

言われる側にとっては、同情よりも「勝手な決めつけ」と感じることもあるようです。

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価値観の違いを「かわいそう」にしないで

実際にはかわいそうではなく、価値観の違いとの指摘も目立ちました。

『塾に行っていない=かわいそう、ゲーム機がない=かわいそう、は違う』

『自分の基準を相手に当てはめているだけ』

この場合、「かわいそう」は相手を気づかう言葉ではなく、自分の常識から外れているというレッテルになるかもしれません。ここでも、言葉がもつ攻撃性が問題視されていました。

そもそも「かわいそう」と思わない人も

一方で、「そもそもかわいそうという感情をあまり抱かない」というママもいます。

『帰る家がない子はかわいそうと思う。大人に対しては思うことはないな』

『自分の人生は自分の選択だと思っている』

子どもは、まだ大人の手がないと生きてはいけません。自分で働き、自分を支えることはできないでしょう。でも大人は、投稿者さんが「かわいそう」と思うことをあえて選んでいる場合もあるのではないでしょうか。人々の価値観の違いも、すれ違いを生む要因になっているようです。

本来は相手の痛みに寄り添う言葉なのに…真心があれば

「かわいそう」という言葉は、ときに見下しや評価と受け取られがちです。しかし本来は、相手の痛みに心を寄せる感情から生まれた言葉でもあるでしょう。真心が伴う「かわいそう」は、まったく別の意味をもつかもしれません。

『見下しているかわいそうなのか、本心からのかわいそうなのかによると思う』

『わが子が熱でぐったりしていると「かわいそう、ママがお熱もらってあげたい」と思うけれど、きっと違う分野ですね。基本他人には言わない方がいい言葉なのでしょう』

身内や大切な人に向けた「かわいそう」には、守りたい、代わってあげたいという無償の気持ちがあります。言葉そのものより、誰に、どんな距離で使うか。そこに真心があるかで受け取り方が大きく変わるでしょう。

「かわいそう」発言を見下しと思われないためには

「かわいそう」という言葉は、本来は同情や共感を表すものでした。しかし今では、使う場面や距離感を間違えると、見下しや押しつけとして受け取られてしまいます。大切なのは、その言葉を使うことで誰がラクになるのか、誰が傷つくのかを想像することなのかもしれません。ツライ胸の内を他人に明かしたとき、心のこもった「かわいそうに」は癒しにもなります。ときにその言葉に救われることもあるのではないでしょうか。また思いやりは、言葉にしない形で伝わる場合もあります。本当に「かわいそう」と思ったとき、優しい気持ちを込めて、相手に寄り添えたらいいのかもしれません。

文・岡さきの 編集・あいぼん イラスト・ごぼふく

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参考トピ (by ママスタコミュニティ
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