【港区・清家愛区長】第1回 子どもを産んだらキャリアはリセット?その違和感が政治を目指す原点に
「子どもが3歳になったら預けて働けると思っていたのに、保育園どころか幼稚園にも入れない現実があった」──そう語るのは、港区長・清家愛さん。預け先が見つからず、仕事にも戻れない。「どうしてこんなに生きづらいの?」その思いを綴ったブログには、多くの共感の声が寄せられました。「子育てで気づいた社会の壁」と「政治を志した理由」とは──。
「子どもを産んだら、キャリアは手放すもの」そう思わせる空気に苦しんだ
──政治を目指すきっかけになった出来事が、「子育ての壁」だったと伺いました。もともと政治に関心をもったのはいつ頃からだったんですか?
清家愛港区長(以下、清家区長):高校生のときに、ロータリークラブの奨学金でオーストラリアの高校に留学したんです。現地で出会った友人のなかには、カンボジアやベトナムから難民としてきた子たちがたくさんいました。「自分の国の政治が間違って、人生が狂ってしまった」と、そう話していたのがとても印象的です。
「政治が間違えると、大切なものを守れなくなる」――そのことを強く感じました。そこから国際政治に興味をもつようになって、バックパックで世界中を旅して、発展途上国や戦争の跡地を、自分の目で見て回ったんです。
──すごい行動力ですね。
清家区長:「この現実を、ちゃんと伝える仕事がしたい」と思って、記者を目指しました。産経新聞に入り、夢が叶って10年近く現場を駆け回りました。記者の世界は、男女関係なく同じフィールドで働くことができます。とはいえ、子どもが産まれたらこれまでと同じようには働けない。だからこそ、子どもをもつことを考えたときの壁は本当に大きかったです。
大学生の頃は「自分たちが働く頃には、日本もスウェーデンみたいに女性が子どもを産んでも働き続けられる社会になっているだろう」と信じていたのに、現実はそうではありませんでした。「子どもを産んだらキャリアはリセット」と。そんな空気がまだありました。すごく悩んだ末に、記者という夢やキャリアを手放して、出産を選びました。
「ママたちの声は、どこにも届かない」広がるもどかしさ
──出産後、すぐに育児の壁にも直面されたとか。
清家区長:今度は「働きたくても預け先がない」問題です。当時の港区は、23区のなかでも待機児童率がワーストレベル。「3歳になったら幼稚園に入れて働けるかな」と思っていたのに、幼稚園すらなかなか入れない現状に直面しました。「これっておかしくない?」と強く思いました。
私だけじゃなくて、同じように苦しんでいる人がたくさんいるはずなのに、なぜかその声が政治に届いていない。
この国のために働いて、子どもを産んで育てているのに、誰からも理解されず、支援も届かない。そんな現実に、強い違和感を覚えた瞬間でした。
──そんななか、どんなふうに声をあげていったのでしょう?
清家区長:24時間育児をしていて、初めてのことばかりで不安も多くて。ママ友もいないし、誰に相談したらいいかもわからない。私は港区が地元なので、親や親族に頼ることができましたけど、そうじゃないママたちは、もっと孤独だったと思います。
それで「港区ママの会」というブログを立ちあげたんです。最初は小さな声でしたが、少しずつ広がって、気づけば200人、300人と、共感するママたちが集まってくれました。
「両立できないのは、自分の責任」だと思い込んでいた
──すごい反響ですね。集まったママたちの声をどう活かしたのでしょうか?
清家区長:港区が主催する、区民が政策形成に関わる場である「みなとタウンフォーラム」を活用して意見を届けたり、そこで取材した区の見解をブログで記事にしてフィードバックするなど、ネットでつながるママたちの声が区の政策に反映されるように活動しました。
──ブログに書いたことで「自分だけじゃない」と気づけた?
清家区長:正直、最初は「私が特別なのかな」と思っていたんです。私は新聞記者として働いてきましたが、記者は特殊な仕事ですし、子育てと両立が大変なのは“自分のせい”かもと、どこかで思い込んでいた部分もありました。でもその気持ちをブログに書いてみたら、共感の声がたくさん届きました。「同じ気持ちです」「私も保育園に入れなくて困っています」と。そこで初めて、「この苦しさは自分だけの問題じゃない」と感じました。
“諦めなくていい社会”を、次の世代へ残したい
──そこから区議会議員として政治の世界へ飛び込まれたのですね。
清家区長:政治の世界に行こうなんて、最初は全然考えていませんでした。でも、保育園とか子育てって、まさに区が担当する領域です。国が何かしてくれるのを待つよりも、「今ここを変えたい」という思いで、港区議会議員選挙に出ることにしました。
そして一人ひとりの声を形にしていくことを信条にして、これまで何千人もの方々の声を聞いてきました。自分たちのためというよりも、次の世代のために社会をより良くしていけたらいいなと思っています。
娘が大きくなったとき、「女の子でも夢は諦めなくていいよ。ちゃんと叶えられるからね」って、胸を張って言える社会にしたい。その思いが、ずっと私の原点になっています。
取材、文・長瀬由利子 編集・いけがみもえ 撮影・編集部
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