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「子育てくらい向いてないものはないんじゃないかと悩んだ日々も。でも今は全て笑えるようになりました」ロックシンガー、中村あゆみさんインタビュー

1984年でデビュー以後、「翼の折れたエンジェル」が大ヒットし、シングル32枚、全25枚のアルバムをリリースしたシンガーソングライターの中村あゆみさん。パワフルでロック、ハスキーボイスが魅力の中村あゆみさんですが、私生活では現在高校3年生のお子さんがいるシングルマザー。子育てを振り返って、反抗期の大変だったこと、失敗や嬉しかったことなど奮闘ぶりをお伺いしました!

_MG_8563絶対オバちゃんなんて呼ばせない!

-いつも綺麗で輝いている中村あゆみさんですが、女性として気をつけていることは?

(中村)33歳で出産して、子育て中も、一貫して変わらないことがひとつだけあります。それは、生活感が表に出ないようにすること。仕事柄もありますが、一歩家の外に出たら、“中村あゆみ”になります。たとえ、歌手になっていなかったとしても、小さい時から、30代、40代になっても、絶対におばちゃんなんて呼ばせないって決めていました。

でもうちにいて、子どもに接している時はただの怖いママですよ。いつもガンガン怒っていたり、泣いたり笑ったりで、子育てに奮闘してきましたから。

隠し事と嘘はなし!

—子育てで悩んだことは?

(中村)どのお母さんも子育てをしている中で、「私はこれでいいのかな?」って、壁にぶつかることはあると思います。良かれと思っていたことが違っていたり、私はダメだと思っていても正解だったり。

子どもが小さい時は、熱や湿疹が出たとか、ちゃんと食べないとか、病気や身体のことで悩みますけど、小学校に入ってしばらくすると、子どものメンタルのケアでも悩みますよね。

小学校1年生ぐらいなら、「みんな仲良く」と先生に言われたことを守れるけれど、もう少し経つと、幼稚園の頃の好き嫌いとは違って、もっとリアルな人間関係の問題が起きます。小学校の3、4年生の頃から傷ついたりすることも増えるし、高学年にもなれば、友達から悪いことを覚えてきたりして性教育をどうするかも含めて悩まされました。

ベッドに潜り込んできて「ママ、これってどういうこと?」なんて、ひっくりかえりそうなことを聞かれることがいっぱいありましたね(笑)。

私はシングルマザーなので、信頼関係を築くためにお互いに「隠し事、嘘はなし」って決めて誓い合っているんです。

そして、たいがいのことはおおらかに受け止めている、ものわかりがいい方のママなので(笑)、娘から情報だけはいろいろ入ってくるんですけど。

なんでも話し合って一緒に乗り越えた時期も

(中村)娘が小学校3年生の時、いろいろ問題がおきて、ある一人の友達しかダメになる、友達依存症のようになったことがあります。

その時は夏休みの目標に「ママとの宿題は、学年中の子と友達になること」と決めました。すると「頑張る!」って素直に聞いてくれて、「今年の誕生日お友達たくさん呼んでいい?」って言われるまでに。その後は、中学、高校でも、ずいぶんいろんな種類のたくさんの友達を作るようになりました。

でも、本格的に反抗期が始まった時には悩みました。それまで、なんでも“ママ、ママ”で、良い意味で親の好きにできましたが、自我が芽生えてからが大変でした。

反抗期の始まりにショックを受ける

(中村)小学校5年生の終わりくらいの時かな、「うっせえ、うざい、むかつく」って言われたのが最初の本格的な反抗期。

「あんた誰に向かって言ってんの!」って烈火のごとく怒って、目がつり上がっていたと思います。「こんなに愛情かけて育ててきたのに、なんでこんな風になっちゃったんだろう?」って苦しみました。もっといつも笑って接していたいのに、と。

本屋に行けば“いつも笑顔で子育て”というような本がありますが、育児は笑顔だけではいられない。愛情があるから、いろんなことが心配になるし、予測がたつだけに注意もしたくなります。親は親なりに必死になって頑張っていますから。

でも友人が「「“うるさい”、“死ね”、“バカ”など3つ以上の暴言を吐く子をお持ちの親御さんは、子育てが成功していると思ってください、本格的な自立が始まっているってことですから」とNHKの子育て番組で、ある先生が言っていたから大丈夫だよ、って教えてくれたんです。

私、もう涙が出そうになって、周りのママみんなに教えましたよ。
でもやっぱり、日々の生活の中で子どもに暴言を吐かれるのは腹が立つんですよね。

子育てが向いていないと悩んだ時期も

(中村)私の人生で子育てくらい向いてないものはないんじゃないか、って思うくらい追い詰められていた時期もあります。

中学生になると、反抗期は輪をかけてひどくなって、大問題も起こしていましたし、しょっちゅう学校から呼び出しがかかっていましたから。自分のことでは人に頭を下げたことがあまりないのに、子どものことでは「本当にすみません、すみません」って何度も学校の先生に頭下げました。

ただ、娘は運動神経は良かったので、小学校1年生からずっとリレーの選手だったのですが、中学2年生の時に、紅白リレーのアンカーで、ごぼう抜きをして1位になって、そのおかげでクラスが優勝したことがあったんです。みんな喜んで声をかけてくれて、それで彼女も変わりました。

私も、中学校に行く時は何か謝りに行く時で、胸を張って行ったことがないくらいでしたが、そのリレーの時からは、少しは下げる頭の角度もあがったかもしれません(笑)。本当に嬉しかったですね。

反抗する子は振り子がある!

(中村)勉強のべの字もなくて、超スペシャル級に遊んでいたんです。でも中学校3年生の時に、学校をいろいろ調べてきて、内申点が届かない、入れないレベルの学校に行きたいって言い出して。「今の成績だと入れないよ」と諭しても「でも私行きます」の一点張り。

結局、今まで手を抜いていた教科を全てきっちりこなして、朝マラソンを走ったりもして、内申点をあげて、試験も合格したんです。

これで、反抗する子は振り子がある、自分で決めたことに関してはちゃんとやれる子なんだな、と少しほっとしました。

でも高校生になったら、いい子になったかというと、そんなことは全然ありません(笑)。「あの受験の頑張りはどこへ行ったの?」と。

これからは大学受験!

今高校3年生ですけど、「大学は行かなくていよ、働いてくれた方がずっと楽だし、ママは芸能界にいるけど、全然見栄もプライドもないから、他の芸能人のママと一緒にしなくていいからね」って言っていたら、大学行くっていうんですよ。えーッ私まだ歌わなくちゃいけないの?って(笑)。

「勉学は必要じゃないと思っているから遊んでいるんでしょ、必要じゃないものにはお金は出しませんからね、専門学校に行きたいなら自分で働いて行ってね。大学も、ここなら行って意味があると思えるようなところじゃないと私は出しませんよ」ってハッキリ伝えています。

進路については、全部調べてきてくれる親が羨ましいと嘆いていますが、「私がしないおかげで、あなたが全部自分の力で調べてられているじゃないの」と。社会に出たら全部自分でやらなくちゃいけないから、自立という面では大成功じゃないかと思っています。

「高校は義務教育じゃないから自分で情報を探してくるのが当たり前」と言っていたら、中学校の時も公立と私立全部自分で調べてきたので「あんたすごいじゃないの」って認めて褒めました。その辺、今の親御さんとは感覚が違うとは思いますけど。

母の日は一年で一番嬉しい日

—子育てで嬉しかったことは?

(中村)子どもが小さい時は母の日ですね。それまで、ムカついていても、全部いいかって思える日ですよね。うちは、ママは歳を取らないから(笑)誕生日も祝わなくていい、プレゼントはいらないって言っていたので、代わりに手紙をくれたりして。受験に合格した時や、運動会で活躍した時も本当に嬉しかったですよ。

あるテレビ番組を2人で見ている時に、親に反抗したり、イライラしたりするのは成長期に分泌されるホルモンが原因だと知って。「あなたの反抗期はホルモンのせいだったのね」って2人で納得しました。それ以来「今生理中でイライラしている」って報告してくれたりします。

思春期は、身体も心も急成長して、いろんなことを吸収して、でもエネルギーは溢れていて、と考えてみたらとんでもない時期。反抗期も当然のことだ、って最近は思います。

やっといろんなことを笑い飛ばせるようになりました。

子育ては命を預かっているもの

ーお子さんが自分に似ているところはありますか?

(中村)最悪な、嫌なところばっかり似ます(笑)。良いところはひとつも似ない。人間ひとつやふたつは、自分でもいいと思うところあるじゃないですか? でもそういうところは似ないで、嫌なところから似てきます。

うちの母に聞いたら、「あなたもそうだったわよ」って。やっぱりDNAなのか、と。でもそう母が言ってくれて「仕方がないかな」と楽になりました。

子育てに関しては、世の中のルールや常識に振り回されている時期もあったんですけど、個性を尊重するというより、ただ命を預かっているんだな、と思うようになりました。そして、いつも、客観的に見ていろんな良さを認めてあげられればいいんですけど、そうはいいつつ、私もガンガンその才能の芽を摘んできています。

良かれと思って才能の芽を摘んでしまった後悔も

(中村)小学校高学年の時に「ママ、カラオケ行こうよ」って誘われた時に「え、仕事以外で歌わせんなよ」と思いながら(笑)、行って、楽しそうに歌っているのに「そこ音程!」とか怖い顔して注意しちゃいました。すると「もう歌うのなんて嫌いだ」と、歌には全然興味がない娘になってしまいました。

最悪ですよね?芽を摘むってこういうことなんだと反省しました。自分の子どもの何かの芽を摘んで初めてわかることってあるんです。

自分は子どもに良かれと思って言ったけど、その時期は楽しく過ごさせることが大事なのに、こっちが同じレベルになっちゃってバカよね、私って。

子育てにおいては失敗の方が多いですから。

いい相談者がいてくれることのありがたさ

—子育てに関する常識に振り回されないためには?

(中村)ママ友といい距離感を保つことが秘訣だと思います。子ども同士の付き合いがあっても、親の付き合いに子どもを付き合わせることはしない方がいい。今でも時々ご飯呼ばれたりしている、仲良くしているママ友もいますけど。

地域でも皆さん応援してくれて、テレビで目にするママ友トラブルのような、嫌な世界を経験したことはないですね。

シングルマザーにとって大事なのは、どれだけ協力してくれる人、味方になってくれる人がいるかどうかです。知らない人と話すのが苦手とか言っていられないですから。マネージャーが見ていてくれることもあったし、常に4、5人誰かが助けてくれていました。

私には、その都度私の心に寄り添ってくれるいい相談者が男女問わずいて、恵まれていたんです。何かあったら相談できる人がそばにいてくれると全然違います。

子育てというのは、自分の育て方は間違っているんじゃないかと終始悩み続けるわけですから。

子どものことは、一生心配しなくちゃいけない、ということにようやく気づきました。子どもはいつか手が離れると思っていたんですけど、違うんですね。

ただ、なんでも早めに体験させて、必ず連絡するという取り決めだけは守らせて、遊びに行く場所の制限もかけませんでしたが、そのせいか、今とっても素敵な恋愛をしているようで、女同士で夜な夜な遊ぶようなことがないのが良かったですね。

娘の恋愛を見ているとこれからだな、って、羨ましくなります。自分もウキウキできるのが、親の醍醐味、母親の特権ですね。私?いい縁があったらでしょうか。

最高に楽しかった40代

—これからの活動予定を教えてください。

2016年は、3月からファンクラブ会員限定で、デビューした時の作品を20曲くらいアコースティックで演奏しています。これを続けて、フルメンバーに移行したいかな、と思っています。

20、30代と頑張ったら、40代はめっちゃ楽しくなりますよ。そして、今までの成果を形にできるのが50代だと思っています。

40代はもっと大変だと思っていたけど、最高に楽しかったですよ。肉体的にも精神的にも一番楽しい。子育ても一段落するし、これから60歳になるまでの10年間はいろんなプランがあります。50代がどんなに楽しいかはまた報告させてくださいね。

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中村あゆみ

1966年6月28日生まれ。1984年でデビュー以後、「翼の折れたエンジェル」「ONE HEART」「BROTHER」等シングル32枚、ベスト盤4枚を含む全25枚のアルバムをリリース。2014年デビュー30周年記念でオール・タイム・シングル・ベスト「Ayumi of AYUMI~30th Anniversary All Time Best」を発売。2016 2月、伝説の「風になれフェスティバル」の中村あゆみ「熱狂の60分1本フルバンドLIVE」映像がiTunes StoreでのHD配信開始。

【ブログ】 http://ameblo.jp/nakamura-ayumi
【公式サイト】 http://ayumi-nakamura.com/

取材、文・志田実恵

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