<忘れられた母の日>「母の日にプレゼント、いらない」実母の真意とは……!?【後編まんが】#母の日
前回からの続き。私は3人の子どもの母親です。長女のマミは高校1年生。学校生活を謳歌しており、毎日部活に勉強に行事にと大忙しです。長男のユウタは中学3年生。冬に高校受験を控えていて、今は部活と塾に精を出しています。次女のアヤカは小学6年生。最後の小学校生活を楽しみつつ、ミニバスケットチームで毎日練習を頑張っています。自分のことに一生懸命な子どもたちを眩しく見つめながら、大きくなったな……なんて目頭が熱くなることもありました。そんななか、今日は母の日です。昔はお祝いの嵐だった母の日も、いつの間にか何もない普通の日となってしまいました。子どもたちが幼い頃にくれた想い出の品を見つめながら、母の日は昔の方が良かったな……なんて、つい物思いにふけてしまうのでした。
母には毎年、母の日にプレゼントをあげていました。しかし、今年からは「いらない」と言うのです。なぜだろう? と不思議に思う私に母は続けます。
「母の日だからって特別な感謝を求めているわけではないのよ」という母の想いを聞いたその当時は、私には、いまいち母の言葉の意味が、ピンときませんでした。
子どもたちがスクスク成長してくれて、元気に「今日」を過ごしてくれていることが、何よりの母の日のプレゼントなのかもしれません。
母の日を祝ってもらえないとか、「ありがとう」の一言がないとか。欲を言い出せばキリがありません。けれど、家族が元気でいてくれることに感謝ができる母の日も悪くない……そんな風に思うのです。
子どもたちの幼い頃の想い出に引っ張られて、つい大切なことを忘れていました。
母の日はあくまでも「きっかけ」に過ぎず、自分が感謝をされる日だけではないのです。
子どもたちがそれぞれの道を見つけて邁進している姿に成長を感じられること。家族全員が元気で母の日という今日を過ごすことができること。そして、自分の母にも直接「ありがとう」が伝えられること。今「あること」に感謝をする日でもあるのかもしれないなと気が付いた1日でした。
母親の役割が当たり前のようで当たり前ではないのと同じように、家族が元気でいてくれることもまた当たり前ではないのです。
そんな尊い日を大切にしながら、これからも生活をしてきたいと思います。
原案・ママスタコミュニティ 脚本・渡辺多絵 作画・ゆずぽん 編集・石井弥沙