<高齢出産で何が悪いの?>【前編】つらかった産後。「選択的一人っ子」と言われると……?
こんにちは。ママスタセレクト編集部のBです。私が初産で娘を産んだのは40歳のとき。自分では「40歳=年を取っている」とは思っていませんでした。体力面でも「まだまだ若い」と思っていて、「いけるっしょ」みたいなノリでした(笑)。ただ実際に産んでみたら、そんな軽いノリは吹っ飛ぶくらい育児は大変。身体もメンタルもボロボロになってしまいました。さらに否応なしに、さまざまな価値観と向き合うこととなったのです。
40歳で出産。世間からの見えない圧力。
友だちに45歳で初産という人がいて、お子さんも元気に育っていたので、「40歳でもいける」と私は思っていました。でも世間的には「40歳の女が子ども産むの?」という風潮はあった気がします。面と向かって言われたことはないけれど、メディアなど世の中の端々から見えない圧力のようなものを感じていたのです。年若く未熟な人が親になることへの批判とはまた違う、「40歳を超えて産むのは良しとしない」雰囲気。でも私は……大きな声でこそ言わないものの「高齢出産で何が悪いの?」と思っていました。
子どもを好きじゃない私がママになった
私は元々、子どもを好きじゃないタイプの人間でした。そのため自分がママになる想像はして来なかったけれど、「夫の遺伝子を残してあげたい、双方の両親に孫の顔を見せてあげたい」という気持ちが芽生えたから、産もうと思えたのです。でも産んでからが本当に大変で、一生懸命育てているけど、それは愛情というよりは義務に近い感じ。さらに娘はとにかくよく泣く&寝ない子だったこともあり、私は産後うつになってしまいました。そんななかでも娘がちょっと笑うようになったり、成長が見えるようになったりするにつれて、私の中の義務感が小さくなり愛情が大きくなっていったような気がします。
夫婦の共通認識「一人っ子でいいよね」
娘が成長してきて「第2子はどうするか」と私が相談したとき、夫は「同じ思いはもうしたくない。もう一人欲しいという気持ちにはなれない」と言いました。第一子の妊娠~出産~産後の私の様子を見ていた夫は、とにかく私の体調やメンタルが心配だったそうなのです。
この言葉を聞くまで私は、娘を可愛がっている様子を見ながら「夫は、もう一人欲しいんじゃないか?」と思っていたんです。それに私自身、頭の中が昭和なので(笑)、「跡継ぎになるであろう男の子を産んでいない」という負い目がどこかにありました。「もう一人産んだら、もしかして男の子かもしれない」と。若かったら、本当に産んでいたかもしれません。でも実際には、私の中にも「あのしんどい頃に戻るのは無理」という気持ちがあったのです。
こうしてわが家は「一人っ子」で決まりました。夫婦で思いが一致していたから、私も気が楽でした。夫が「当然、子どもは複数人」という人だったらすごく辛かったでしょうね。
両親たちの反応は……
さらにありがたかったのは、両親や義両親が、むやみに「(2人目)頑張って」と言って来なかったことです。親の世代って、ナチュラルに妊娠・出産について言ってきますよね。でも義理の母は元看護師で産婦人科の経験もあったからか、そのあたりの認識がアップデートされているようでした。ときどき「どうするの~? やっぱり子どもは2人いたら幸せよ~」「きょうだい仲良く助けあって生きていくっていうのも幸せよ」などと私に言うことはあったけれど、ずーっと言われ続けるなんてことはありませんでした。
実母も私が出産後ボロボロになったのを見ていたので……。産んですぐは「早く次を産まないと育てられないよ」なんて言っていたものの、しばらくすると「もういいんじゃない。次が生まれても、私はもう面倒見れないよ」と言うようになりました。なので私も「あーそっかー。じゃあ次はいっかー」って感じで(笑)。双方の父親にも特に言われることもなく、恵まれていたと思います。
都会から地方へ。初めて聞いた「選択的一人っ子」
娘が入園した都内の幼稚園では一人っ子が多かったんです。「一人っ子だから楽してる」なんて言われることも、「2人目どうするの?」「もう一人産まないの?」と聞かれることもありませんでした。「そういう話題を出すのは相手に失礼」という雰囲気があったような気がします。
ところがその後、地方に引っ越すと3人きょうだいがザラにいるような環境。そんななか、私と同じように高齢出産で一人っ子のママ友ができたんです。彼女が「〇〇ちゃん(娘)って一人っ子?」と聞いてきたので、「うん、一人っ子」と答えると、「うちも選択的一人っ子なの」と明るく話してきました。”選択的一人っ子”、私は初めて「あ、そういう言葉があるんだ」と知ったのです。
東京の幼稚園にいた頃は子どもの人数に関する話題があがることもなかったため、とても新鮮でした。そんな生き方、言葉もあるんだなと感心したし、堂々と明るく話すママ友の様子が衝撃的だったのです。
「選択的一人っ子」は免罪符?それとも……
「うちは選択的一人っ子です」と言うと、向こうが「あ……」と事情があることを察してくれる、すごく便利な言葉です。「子どもは複数人がいい」とする人にも、そのひと言だけで済ませられる気がします。それに私にとっては、「子育てが辛い」「子どもが嫌い」といった負の感情を包み込んで消化してくれる、免罪符のような言葉にもなりました。「わが家は夫婦2人で“選択して”一人っ子なんだから」と改めて認識できたのです。
うちの夫は私が子ども嫌いなのを知ってるし、夫も自分の子ども以外はまったく興味ない人。そんな2人が、わが子に対してはそれなりの義務感と愛情をもって子育てしてきました。負い目を感じることはありません。何か問題が発生すれば、夫婦で話し合って決めていく。それが強さにもなりました。
しかし私みたいな人ばかりではなく、「わが家は選択的一人っ子」と口にはしているけれど、その裏に「本当はもう一人欲しかった」という気持ちがある人もいるのかもしれません。高齢出産で一人っ子のママ友たちは、だいたい身体的問題で一人っ子を選択しています。人によっては、経済的理由の場合もあるでしょう。「選択的一人っ子」という言葉で救われる人と、さらに辛くなる人、きっとどちらもいるのでしょうね。
でも「選択的一人っ子」という言葉で救われるなら、どんどん使えばいい。言葉だけが一人歩きするのではなくそれに実(じつ)がついてくれば一番いいのではないでしょうか。
「選択的一人っ子」の背景にあるもの
ただ「子どもが嫌いだから選択的一人っ子なの?」と聞かれたら、それはまた違うんです。「高齢で出産したから?」と聞かれたら、確かにそれも関係していますが、それだけでもありません。確かに元々子どもが好きじゃないタイプではあったけれど、選択的一人っ子に行き着くまでに、年齢のこと、自分や夫の性格のこと、そのほかにもいろいろ……複合的な理由が存在しました。
感情って自然と湧いてくるものなので「子どもを嫌いなんて思っちゃダメだよ」と人から言われたところで消えるものではないし、「子ども嫌いは悪いことではない」という確固たる自信はあるんです。でも「子どもが嫌い」ということと「選択的一人っ子」をセットにはしない。もしかしたらそんなこと誰も気にしないのかもしれないけれど、自分が不快になって考え込んでしまうリスクを負う気もします。それにやっぱり、聞く相手によっては私のことをワガママだと思う人もいるでしょう。こういうインタビューで声は出せるけど、声高に言おうとも思わない。人から嫌われたくないのかな(笑)。自分の中に矛盾があるんでしょうね。
取材、文・千永美 編集・Natsu イラスト・Ponko