<でもでもだってちゃん>アドバイスしても反論。愚痴ばかりの友人に疲れ果てた私、どう返すべき?
生きていればいろいろな問題や悩みに見舞われるもの。そのため、家庭や仕事などの愚痴を友人同士でこぼし合ってストレス発散することは、大切なことではないでしょうか。しかし愚痴を垂れ流し、相手からの助言には「でも」や「だって」のオンパレードで返す、という場合はどうでしょう? そんな言い訳ばかりの人を、巷では「でもでもだってちゃん」などと揶揄して呼ぶそうで……? 今回は「でもでもだって」の友人を複数もつママからの相談です。
『私が何を言おうが、友人が「でもでもだって」ばかり。子どものいじめに悩む友人に「先生に相談したら?」と言えば「何もしてくれない」と返され、「転校は?」と言えば「次の環境だって悪いかも」と返され、「保健室登校は?」と言えば「自分の子どもだったら、そんなこと言えるの!?」と泣かれてしまい……。不妊で悩む友人には、「辛いよね」と言えば「あなたには分からない」。「いつかできるよ」と言えば「無責任」。「難しいんだね」と言えば「そんな苦しいこと言わないで」と責められ、夜中まで話を聞いたこともあります。愚痴を聞くことに疲れました。これからどうしていけばいいでしょうか?』
投稿者さんのご友人たちは、出口の見えない状況のなかに身を置いていることがうかがえ、その辛さはいかばかりかと思うと胸が痛いですね。苦しみを投稿者さんに聞いてもらうことで、とても心が軽くなるのでしょう。しかしここで問題なのが、聞く側の投稿者さんが疲労困憊しているという点です。投稿を受けて、他のママたちが「でもでもだって」問題に迫っていきます。
友人の心強い相談相手である投稿者さんは、素晴らしい人柄!
『投稿者さんが信頼できる相手だから愚痴るんだろうね。ネガティブな気分のときって何を言われても気に触るもの。気にしなくていいと思う』
『「でもでもだって」で返されて、自分のしていることは無駄かなと思うよね。それでも相手が相談するのは、投稿者さんが受け止めてくれて安心するからなんだと思う。ただ、相談される方は嫌気が差すよね……』
ママたちからはまず、投稿者さんの人柄や愚痴に耳を傾ける姿勢をたたえると同時に、励ましの言葉が寄せられました。
「でもでもだってちゃん」の愚痴、私ならこんな風に付き合います
投稿者さんの心理的な負担を軽くできたらと、ママたちからは愚痴への対応策も届いています!
『適当に聞けばいいと思う。親身になりすぎると疲れるからさ』
『「あなたはどうしたい?」、「あなたはどう思う?」と問題解決に向かう質問で返すといいと聞いたことがあるよ』
『私は電話に出ず、後から「忙しくて」と返していたら連絡が減ったよ。相手には「今聞いてほしい!」っていうタイミングがあって、それがズレると愚痴りたい衝動が収まるみたいだった』
真剣に取り合わない、相手の気持ちを探り出して問題解決を目指す、時間をおいて対応するという案が集結。こうした工夫で、投稿者さんの悩みが一件落着となると良いですよね。
ネガティブは伝染する?フェードアウトを選択肢に入れるママたち
投稿者さんの負担を減らす愚痴の聞き方をアドバイスするママがいる一方で、愚痴や「でもでもだって」がもたらす、負のエネルギーの影響力について物申すママもいて……。
『友人が求めてるのは、そっかぁ、辛いね、大丈夫? という類の言葉。ネガティブなことばっかりで話したくなくなるよね。嫌なら距離を置くしかない』
『自分が病みそうだから、私ならフェードアウト一択』
思わず納得、というママも少なくないかもしれませんね。愚痴をこぼす当人に自覚や悪気はないのでしょうが、愚痴ばかりを聞かされる立場になると、自分まで心が擦り減っていく感覚に苛まれて、辛くなってしまうかもしれません……。
実際に私、距離を置きました
『義母が似た感じで、「どう言えば納得するんですか?」って聞いちゃったよ。そしたら「ひどい」と言って自分が可哀想な感じを出すだけ。もう義母の話は極力聞かないことにした。関係は崩れたけど仕方ないよね』
『会社の先輩と2人で昼休憩をとってたんだけど、ずっと会社の愚痴。耐えられなくなって一緒に休憩するのをやめたら、ときどき悩まされていた頭痛がなくなったよ』
フェードアウトという選択肢が登場し、実際に「でもでもだって」の相手と距離を置いたママからも経験談が寄せられました。
「でもでもだって」問題をママたちが深堀り。まずは自分自身に優しくしてみよう
『「でもでもだって」ばかりで、助けてもらうことばかり考える人は、現実や自分と向き合うことから逃げるから変わらないと思うな』
『友人は不満があるけど、不満をポジティブな方向に変えていく気はないなら、投稿者さんが疲弊するだけかも』
『友人は投稿者さんを、無料カウンセラーとか、愚痴を吐き出すゴミ箱みたいに思ってる感じで、大切にしていないと思う。大切なら、思いやって愚痴を垂れ流すことはしないはずだからさ』
愚痴を聞く側は疲弊しているかもしれないということを考えず、「でも」と「だって」でエンドレスに愚痴をこぼす人々をめぐって、ママたちの考察が深まりました。ママたちの鋭い意見、興味深いですよね。とにかくモヤモヤを吐き出すために愚痴ばかりを言う人の相手をしていると、本来は相手が引き受けるべき問題やストレスまでをも、自分になすりつけられている気がして、疲労困憊してしまうのかもしれません。
友人関係を続けていく上で、愚痴を聞く側の自分の気持ちが蔑ろにされていると感じるのは、とても悲しいこと。人に優しくすることも大切ですが、愚痴をこぼされている自分の率直な気持ちに耳を傾けることは、それと同じくらい、あるいはそれ以上に重要なことではないでしょうか。
『まずは自分に優しくしてあげよう? 苦痛なら縁を切ってもいいんだよ。「縁の寿命」がきたってことだよ』
投稿者さんのように愚痴に付き合い寄り添えるママほど、人と距離を置くことに抵抗を感じるかもしれません。しかし愚痴を吐きたい相手と、愚痴を聞くことに疲れた自分がいる今、その友人との縁は「寿命」のときなのかもしれない。そう考えると、投稿者さんのやるせなさや苛立ちも、出口を見つけられるかもしれませんね。
文・みちはら宵子 編集・きなこ イラスト・森乃クコ
【つぎ】の記事:<同居の断り方>親孝行したい旦那。子どもがいないのに姑の面倒を見られない私はダメ?【前編まんが】