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震災から10年。記憶や情報のアップデートが必要だと痛感しています。

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東日本大震災から今年で10年を迎えます。あらためて「もう10年なのか」と思うのですが、子どもたちを見て納得。ずいぶんと大きくなりました。そして私たちの生活スタイルにも変化が見られます。そんななかで気づくのは「10年前と今では違っていることがたくさんある」ということです。記憶が薄れたり、すり替わったりしていることもあります。だからこそこの10年を節目に記憶や情報のアップデートが必要だと感じています。

震災の記憶が薄れてきている現実

2011年3月11日に起きた東日本大震災。筆者が住んでいる地域では震度5強を観測しました。娘が幼稚園から帰宅して、ちょうどおやつというタイミングでした。一瞬「ガタっ」と音がして、すぐに大きな揺れがきました。家がミシミシと音を立てていて、普段の地震とは違うとわかりました。とっさに娘を抱き抱えたのですが、どこに避難したらいいのか……。今では「家の外に出るべきだったのだろう」と思うのですが、本当に腰が抜けるというか、その瞬間は足が動かなくなるものです。地震がおさまった後部屋を見渡すと、本棚から本がすべて落ちていました。その後は停電です。夜になって断水も始まり、筆者たち家族は約4日間、‟水が出ない生活”を送りました。そんな経験も10年がたった今では、遠い記憶になりつつある……、それが正直な気持ちです。

子どもも10歳分生きてきた

震災当時は息子が小学2年生、娘が幼稚園の年長でした。でも今は高校3年生と1年生です。震災が起きてから数年は3月11日のことも憶えていた子どもたちですが、今ではあまり覚えていないことも多いようです。先日娘と話したときには「お母さんがギュッとしてくれた」とは言っていたのですが、記憶が断片的になっているのは否めません。息子に関しては「う〜ん」と言ったきり……です。親の私でさえ記憶が曖昧になったり、すり替わったりしてしまっていることもあります。この10年のうちに小学校や中学校生活を送ってきた子どもたちは、どんどん新しい経験や出来事を重ねてきているわけですから、震災の記憶が薄れるのは仕方ないのかなと思えてしまいます。

子どもの成長と共に変化したこと?

10年間で子どもたちが置かれている環境も大きく変わりました。

移動は自転車や公共交通機関、子どもたちの行動範囲が広がった

高校生になった子どもたちは、自転車と電車を使って通学しています。震災当時は市内の幼稚園と小学校に通っていたので、万が一のことがあれば筆者が歩いてでも迎えに行くことができたでしょう。でも今は学校までの距離があります。子どもたちを自力で帰宅させるには不安がありますし、安全面を考えると歩いて帰宅するのは困難だろうと思います。

スマホがあれば何でもできると思い込んでいる

当時子どもたちは個人のスマートフォンを持っていませんでした。そのため何か起きたら学校から連絡をもらうのが基本ルールでした。でも今は各々がスマホを持つようになり、いざというときはそれで連絡をしようとしてくるはずです。ただ実際に大きな地震が起きたら、きっと電話はつながらくなってしまうでしょう。震災の時もそうでした。夫と連絡が取れなくなったのです。ここになんでもスマホで片付けられるようになった昨今だからこその落とし穴があるかもしれません。ちなみに震災のときには家庭用の電話も繋がりませんでした。

高校生だと思って、親は油断しがち

子どもたちが高校生になったことで、親である筆者も油断している部分があります。自分のことは自分で守れるだろうと過信してしまうことがあるのです。とはいえ筆者たち大人とは経験値が違います。いざというときにはパニックになってしまう可能性もあります。親の基準で考えては子どもたちの感覚とズレが生じそうです。

情報をアップデートすることの必要性

子どもたちが身体的にも置かれている環境にも変化が出ている今、それに合わせて持っている情報を書き換えていかなければならないと思っています。そのきっかけとなったのが、息子の高校から送られてきた1通のメールでした。
そのとき息子は大学受験を控えていました。そんな中で今年(2021年)2月13日に福島県沖を震源とする地震が起きました。筆者が住んでいる地域では震度5強でしたが、東北地方では震度6を観測しています。この影響で交通網がかなり乱れ、東北新幹線がストップしてしまったのです。もしそのまま東北新幹線が長らく動かない場合、東北地方に受験しに行こうとする生徒は交通手段を見直す必要が出てきました。それを促すメールが高校から送られてきました。
このメールを見たときに、あらためて子どもの置かれている環境が変わったなと思いました。震災当時は小学生だったわけですから、電車が動かなくても影響はありませんでした。でも今はもっと広範囲で地震の影響を考えなければなりません。まさに情報のアップデートが必要なのです。

当時とは違う「今」や「これから」を見すえた備え方

実際に筆者の家族が考えた情報のアップデート例は以下のようなものです。

自治体や学校の指示に従う

震災が起きてから、自治体が防災無線を設置したり、避難場所を明確に示すようになりました。筆者が住んでいる地域でも、毎年ハザードマップや避難場所が書かれたチラシが配られます。自治体による取り組みが行われるようになっていますし、学校にも周知されています。そのため大きな災害が起きたときには、地域や学校の指示を最優先にすることを確認し直しました。ちなみに息子は4月から大学生になるので、家を出ることになります。そのためのアパートを契約した際には、契約書と共にハザードマップや避難場所の地図が送られてきました。今はそのくらい徹底されているのだなと思いましたね。

生理用品は常に多めにストック

10年前は娘も園児だったので、生理用品は必要ありませんでした。でも今は違います。もし災害で避難をすることになったり、そもそも買い物ができない状態になったら、生理用品が手に入りにくくなり困ることになるかもしれません。東日本大震災のとき夫の会社で物資の寄付をすることになったのですが、「何が必要だと思う?」とたずねられたとき、筆者の頭に浮かんだのは生理用品でした。そのとき筆者の住む地域ではまだナプキンなどの購入に困難はなかったので必要になるだろう分を用意して、避難している場所に運んでもらうよう提案しました。後日「役場の方にすごく喜ばれた」と聞きました。食料は真っ先に思いつくのですが、視点を変えてみるとそれ以外に必要なものが見えてくるでしょう。

エンディングノートがあると知らせた

そしてもし筆者たち親に何かあったときのために、筆者はエンディングノートを書きました。エンディングノートには銀行口座や証券口座、パスワードなど、他にも延命治療のこと、お葬式の仕方なども書いてあります。そうなって欲しくはないのですが、「万が一の時にはこれを見なさい」と子どもたちには伝えてあります。

家族みんなで情報を共有していこう

東日本大震災から10年が経ち、節目を迎えます。今年は新型コロナウイルス感染症の不安も重なり、自分自身や家族の安全をいっそう考えることになりそうです。薄れた記憶を蘇らせるのは難しいかもしれませんが、定期的に思い出すように努め、記憶が消えるのを防ぐことはできるのではないでしょうか。また新しい情報をインプットすることもできるでしょう。筆者も家族と一緒に震災を振り返り、お互いの環境の変化ごとに持ち合わせている情報を共有していきたいと考えています。これも子どもたちがこの10年を生きてきて、経験や知識も積まれてきたからできることかもしれません。

文・編集部 イラスト・Ponko 編集・blackcat

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