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ユージ:第2回 僕にとって、小学校時代はものすごく過酷でした

6歳で小学校1年生のクラスに通っていたユージさんは、授業中の態度が原因で学校を退学になり、7歳でたった一人アメリカへ留学をします。
第2回目となる今回は、アメリカ留学のお話をお聞きしました。

■アメリカンスクールを辞めた後、留学を選択したのはなぜですか?

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実は、その時期、母がちょうど病気になってしまったんです。
うちはシングルマザーだったから、母が病気になると僕の面倒を見る人がいないので、アメリカのおばあちゃんの所へ行くことになったのが理由です。

■小学校低学年で、お母さんと離れてアメリカでの暮らしは寂しくなかったですか?

それが、全然寂しくなかったんですよね。いざアメリカに行ったら、元々英語しか喋れないから、慣れ親しんだ英語の世界で嬉しかったし、お母さんに会いたいという気持ちもありましたが、日本にいる時は母親と2人きりだったから、正直すごく寂しかったんです。でも、アメリカに行ったら、お父さん、おばあちゃん、親戚がいっぱいいて、たくさん人がいるからすごく楽しかったんです。
その後母の病気も完治して、やはり母に会いたいと思ったので、一年間で日本に戻りました。

■アメリカから戻って来てから、すぐに日本に馴染めましたか?

いや、全然馴染めませんでしたね。
1年間アメリカの小学校に行って、日本に戻ってきて小学校3年生として転校することになった時に、母親が「これからずっと日本で生活していくのに、アメリカンスクールに行くのは良くないかもしれない」と言って、普通の日本の小学校だけど、帰国子女の子が多い学校を見つけてきて、そこに転校したんです。
クラスに1人、2人は帰国子女がいるような学校だったんです。でも、僕が転校したときは帰国子女の子が少なくて、クラスに僕しかいなかったんです。

■転校して、まず最初にぶち当たった壁はなんでしたか?

まず、名前がいじられましたね。
だって僕の名前は「トーマス・ユージ・ゴードン」ですよ?
外人名なのにさらに「機関車トーマス」だらけですからね(笑)
黒板に名前を書いたら、みんながクスクスと笑うんですよ。

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日本語がわからなくてもクスクス笑われているのはわかって、すごく不愉快でしたね。
休み時間になって、みんなが話しかけて来てくれるんだけど、日本語はわからないし、ニヤニヤして話しかけてくるから、バカにされてるんじゃないかと思って。
だから殴っちゃうこともありました。
日本語が話せなくて言葉で返すことができないから、そういう行動に出ちゃうんです。
そうすると、向こうもやり返してくるじゃないですか。
僕はその当時は身体が小さかったので勝てないことの方が多かったです。
それでも毎日そんなことを繰り返してるうちに言葉を覚えて、良い友達ができたりもしましたけど、僕にとって小学校時代はものすごく過酷でしたね。

■そのまま中学へ上がるんですか?

そう。その学校は、小学校から高校までエスカレーター式の学校だったので、そのまま中学に上がることになるんです。
僕にとって戦国時代だった小学校から、中学に上がる時って、これはものすごく勝負だったんです。
エスカレーター式の学校とは言え、受験で中学から入ってくる子もいるから、負け続けていた小学校時代を知らない子たちも増えるんですよ。
その子達に舐められたくない!という気持ちがありましたね。

中学と同じ敷地内に高校もあるんですけど、高校のお兄さん達がすごくかっこよく見えて、
それで中学に上がる時に見よう見まねで髪の毛を染めて、ピアス開けて、ズボンを下げて見た目から悪い方にいったんです。
中学になるとさすがに身体も大きくなってきて、勝てるようになったり。
そこから、僕の勘違い人生がスタートするわけですよ。

■舐められないようにするために、他にしたことはありますか?

名前ですね。「トーマス・ユージ・ゴードン」をイジられるのも嫌だったので、中学に上がるタイミングで母親の旧姓の名字で日本の名前に変えたんです。そうすれば名前でイジられることもないじゃないですか。
僕は中学に上がるときに、過酷だった小学校時代をリセットしたんかったんです。

言葉が通じない歯がゆさが暴力となって出てしまったという小学校時代。
そして舐められないために強さを装って中学校時代が始まりました。
この時期の経験が、ユージさんの10代を左右することになります。
次回もお楽しみに。
(取材・文:上原かほり 撮影:chiai)