はなわ:第3回 「この人を絶対に守らなきゃ」と、結婚を決意しました
遠距離恋愛の末に東京で一緒に住み始めた、若き日のはなわ夫妻。ところがストレスや疲労から、彼女(現在の奥さま)が婦人科系の病気を患ってしまうことに……。
第2回では波乱なラブストーリーをお聞きしましたが、この病気が結婚へと至るきっかけとなったそうです。第3回は、はなわさんの秘めた男らしさが伝わるエピソードから。
彼女だけは僕のことを「絶対に売れる」と信じてくれていた
病気を治すためには「男性ホルモンを投与するか、妊娠するしかない」というのは、かなり極端な話ですよね。どうされたんですか?
“わけのわからないヤツが突然東京に連れて行った”ということで、彼女の家族は僕のことをすごく怒っていたんですよ。彼女が勤めていた会社の人たちもみんな怒っていたらしいです。そんな中で病気にさせてしまって、しかも「このままだと子どもはできにくい」とまで医者に言われて。彼女も売れない芸人に結婚を”背負わせる”のは……と思ったらしくて、「もう別れる? 佐賀に帰るよ」という話になりました。
でもここで帰したら男としても、人間としても申し訳なさすぎると思ったんですよね。「俺はこの人を絶対に守らなきゃいけない」って思いました。そのとき結婚しようと決めたんです。もしこの先、子どもを持つことができなくてもかまわない、と。僕ももう、芸人にこだわっている場合じゃないなと思ったし。
男の決断ですね。カッコいい!
ですよね(笑)。といって、やっぱりなかなか芸人という夢をあきらめられないんですよ。そうこうしているうちに「できにくい」と言われていた子どもを彼女が授かって。
当時のマネージャーに妊娠を報告したとき、「売れてもいないくせに、何しているの!?」って怒られるのを覚悟していたんですよ。でも、まっさきに「おめでとう!」って言ってくれたのが忘れられないです。こんな状態でも「よかったね」と言ってくれる人がいるんだ!って思いましたね。
ただ、彼女の実家にそれを報告しに行ったら、やっぱりすごく怒られました。「もう芸人をやめてくれ」と言われたんですけど、彼女がそれに猛反発するんですよ。彼女だけは僕のことを絶対に売れると思ってくれていたので。それで、そのとき彼女の親に言われたのが「この1年間で年齢くらいの給料が稼げないのなら、そのときは芸人をやめてくれ」。当時は21~22歳だったのかな? つまりは21~22万円ってことですよね。
実際そのころのお給料っていくらくらいだったんですか?
5万円くらいですね。どう考えても無理だろう!って思ったんですけど、その1年間は火事場の馬鹿力っていうか、もうとにかく必死でがんばりました。円形脱毛症になっちゃって、大きなものが後頭部にどーんと二つできましたから。ほんと、必死です。そしたら仕事が、不思議と上向きになってくるんですよ。死にものぐるいでやってましたから、そんな僕の必死感がウケたのかなって思うんですけど。「佐賀県」の歌が生まれたのも、このころです。
そうなんですね。奮起できたのは、奥さまとお腹にいた赤ちゃんのおかげというか
それはもう、間違いないです。子どもはできたけどお金はまったくない、ってことで必死でしたから。
当時は(東京都)中野区に住んでいたんですけど、そのとき思ったのが「中野区、やるじゃん!」。妊婦や出産のための助成金とか、すごく助けられました。本当にお金がなかったので、自治体の補助のありがたさが身にしみましたね。
ちなみに「芸人はやめろ」と言うくらい怒っていた彼女の向こうの親なんですけど、実際に子どもが産まれると……とにかく孫がかわいいんですよ。以前の約束なんて忘れちゃってました。孫のパワーってスゴいですね(笑)。
妊娠中も嫁さんが働いてくれていたし、僕も少しずつ売れだしてショーパブの仕事なんかもやるようになって。ようやく安定してきたのがこのころです。
「柔道一家のパパ」としても知られる今のはなわさんからは想像もできない、情熱的なラブストーリーがあったのですね。
次回からはいよいよ、メディアにも登場しているお子さんたちに対する想いをお聞きしたいと思います。
(取材、文・鈴木麻子 撮影・chiai)