「保育園に行きたくない!」登園を嫌がる子となだめる父
朝、娘が小学校に登校したあと、8時半くらいでしょうか。家の前を保育園に向かう父子がいました。お父さんが息子の手を引いて歩いていくのですが、半年ほど前から、その4才くらいの男の子は、「保育園に行きたくない!」と泣き叫ぶようになっていました。最初は「あるある。大変だな」と思っていましたが、それが半年ほど続き、あまりに長期間になってきたため、さすがに他人ながら心配になってきました。
「声をかけようかな」と思う日もありました。でも、なんて?見ず知らずのおばちゃんが、何を言えばいいのか。
娘のイヤイヤ期を思い出して
思えば娘は登園を嫌がることはありませんでしたが、3才のイヤイヤ期に、道端で泣き叫ぶことがありました。ガンとして動かない娘と、またか…とため息をつきながら立ち尽くす私を見かねて、目の前のお店のおばちゃんが出てきました。「どうした、何がいやなの」と声をかけてくれたのは良かったのですが、「これで機嫌直しなさい」とチョコレートを差し出されたのです。当時、まだチョコレートをあげないようにしていた私には、正直少し迷惑に感じてしまいました。その一回のイヤイヤを、チョコレートで乗りきることは簡単。でも世の中のお母さんたちは、なるべく飛び道具を使わずに乗り切る方法を探しているのです。それを思い出すと、虐待でもないのに他人が出る幕ではないと感じました。
ギャンギャン泣き叫ぶ息子さんと、だまって手を引くお父さん。お父さんがんばって、と心の中で応援していました。
季節が変わったように
そんな日々が続き、夏休みが終わり、ふと気づいたら、毎朝聞こえてきたあの叫び声が聞こえなくなりました。窓からのぞくと、あの父と子が手をつないで談笑しながら歩いています。なんらかの子供の中での発達段階が変わったか、あるいは気持ちがすんだのか、季節が変わったように、あのトンネルを抜けたようです。お父さん、おつかれさま!と思い、嬉しくなりました。
思春期の反抗期を迎えた友人から聞いた話ですが、小さい頃にこどもとちゃんと向き合った経験は、思春期の反抗期に「くそばばあ」「産んでもらったおぼえなんかない」などと言われた時に、自信をもって立ち向かえる力になるそうです。あのお父さんにとっては、息子さんがいつか反抗的になった時、泣き叫ぶ息子さんと手をつないで登園した半年間が大きな意味を持つのでしょう。
秋の空の下、なかよし父子を時々見かけてなごんでいるおばちゃんがいるなんて、彼らはたぶん知りません。もしかしたら私も、子供が小さかった頃に必死で戦った時間を、誰かがどこかで見守っていてくれたのかもしれないな、と思うのです。
文・yuki イラスト・さど