<戦後80年>戦時中の話を体験者から聞いたことはありますか?生の声が聞けなくなってきたね…
今年は、世界中を戦禍に巻き込んだ第二次世界大戦が終わって80年になります。しかし当時を知る人は、もうかなりのご高齢。ママたちが子どもだったころは、祖父母や親戚などから戦時中の話を聞く機会があったかもしれませんが、今の子どもたちは直接話を聞ける場面はかなり少なくなっているのではないでしょうか。ママスタコミュニティにこんな投稿がありました。
『日本は原爆や空襲があったけれど、だんだん生の声は聞けなくなっちゃうね。聞けるうちに聞いておかないとね』
投稿者さんは広島の人。子どものころから原爆の証言を聞いたり、「広島平和記念資料館」に行ったりしていたそうです。そして戦争や平和のことを考える機会は、学校でも家庭でもたくさんあったと話しています。しかしだんだんに戦争の話を聞く機会が減ってきていることに危機感を覚え、投稿したのではないでしょうか。この投稿を読んだママたちから、さまざまなコメントが寄せられました。
戦禍を生きぬいた人の話は貴重
『当時そこに居た人の話は、本当に重要。戦時中の話は、壮絶で話を聞くだけでも耐え難いものがあるけれど、聞いておかないといけないと思う』
『私は両親が長崎出身。私が育ったのは広島。だけど私も伝承できていないと思うと焦るよね』
終戦が1945年ですから、当時10歳だった人も今では90歳。現在は戦争体験の語り部として活動されている人もいる一方、年々その人数は少なくなっています。当時のことを直接聞かせてもらえる機会は、ママたちが子どもだったころに比べてかなり減っているでしょう。ママたちは、子どものころに学校や家庭で聞いた話や、子どもなりに感じたことをコメントしてくれました。
学校での平和学習
『夏休みの宿題で「戦時中の話を聞く」というのがあった。8月6日は登校日で、平和について考える日だった』
『体育館に集まってフィルムを見たり、体験者の話を聞く会があった。原爆で目玉が飛び出してしまい、それを落とさないように手で受け取る人とか、皮膚が焼け落ちて腕を前にしてお化けのように歩く人の話とか……。衝撃だった』
『私は長崎出身だから8月9日は登校日で、毎年、この日に向けて平和学習や研究発表を行った。中学生のときには原爆病院にアポとって訪問した』
国語や歴史の授業で習ったり、学校や市町村独自の取り組みで平和学習に取り組んだりといったエピソードを語るママたち。とくに8月は6日に広島、9日には長崎に原爆が投下されました。そして日本が降伏を受け入れた15日の終戦記念日があるので、戦争と平和についてふれる機会が多く感じられたのでしょう。また学校だけではなく子ども向けのテレビ番組でも、夏休みは戦争を題材にしたアニメや映画が数多く放送され、さまざまな作品を見たことも語られました。こういった子ども時代の経験を通して、戦争そのものは経験していなくても、戦争を2度と繰り返してはいけないと心に刻んできたと振り返るママもいます。
身近な戦争経験者の話
またママたちが子どもだったころは、身近な人が戦争体験者でした。祖父母や親戚のおじさんおばさん、近所の人がふっと当時のことを語って聞かせてくれました。
『義姉のお父さんは、13歳か14歳のころに徴収されて火薬工場で働いた。火薬の匂いで頭が痛くなって仕事場を変えてもらったら、前日まで働いていた火薬工場が空襲で焼けたって』
『うちは母方の親戚が広島で、父方が東京。原爆や東京大空襲、疎開や防空壕の話を親戚から聞いて育った』
『義祖父は出征した。直接話は聞けなかったけれど、平和資料館に体験談の映像が残っている。息子(義祖父にとって曾孫)を連れて行って一緒に見たよ』
ママたちが綴ってくれた経験者から聞いた話は、どれも貴重な話。また背負うものが悲しすぎたり重すぎたりして、何も語らずに他界した祖父母の姿を伝えてくれたママもいます。辛く苦しかった経験を伝える語り部や資料館に残された数々の遺品は、戦争を体験した世代の人たちの二度と戦争を起こしてはいけない、子どもたちやその後の世代に同じ苦しみや悲しみを与えてはいけないとの誓いの結晶なのでしょう。
筆者が住む秋田は、1945年8月14日の夜中から15日の未明にかけてB29が飛来し、日本最後の空襲と言われる土崎空襲があった地域です。当時の遺構や遺品など空襲の様子を伝える「秋田市土崎みなと歴史伝承館」には、当時小学6年生だった男の子の学童服が展示されています。その学童服の右脇腹には穴が空いていて、解説には、爆弾の破片が入り貫通し亡くなったことが書かれていました。たった12歳の少年が空襲のなかを逃げ、爆弾の破片が服を破り貫通した……。どれほど怖くて痛くて苦しかったでしょう。そして傷ついたわが子を病院に連れて行くことさえできず、命を落とすのをただ見つめるしかなかった親御さんの無念さを思うと、苦しくて涙が溢れてきました。こんな身近なところにも戦争の傷跡が残っていたのかと、改めて知らなくてはいけないことがまだまだたくさんあると思わされました。
次の世代へと語り継ぐ
戦争を経験した人の話を聞いて育った投稿者さんが、私も次の世代に伝えていかないといけないと語る投稿に、幾人ものママたちがそれぞれの思いを寄せてくれました。今年は戦後80年。住んでいる場所やゆかりのある地域などを親子で訪ね、平和について考える夏を過ごしてみてはいかがでしょうか。
文・間宮陽子 編集・みやび イラスト・加藤みちか
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