山口智充:第3回 子どもたちにお父さんお母さんの結婚式を見てもらえたことが、最高にハッピーでした
ときに「いったいどんな肩書きだったけ?」と忘れてしまうほど、お笑いから司会、役者とマルチに活躍されている山口智充さん。”ぐっさん”の愛称で、広くお茶の間にも親しまれている存在です。前回は奥さまとの出会いから結婚までのお話をお聞きしましたが、今回は数年前に行われたという結婚式についてのお話。「あれ? ぐっさんって、そんなに最近結婚したの?」「お子さんいなかったっけ?」という方、そうなんです。結婚から挙式までが大幅に遅くなってしまったその理由は、ここから記事を読んでいただくとわかるはず。
プロポーズはどんなふうにされたんですか?
「籍を入れよう」と、彼女が住んでいた大阪からこっち(東京)に呼び寄せたときですね。よくドラマで観るような、ロマンティックなエピソードは何もないんですけど。とくに言葉もなかったと思います。
えっ。何もない?
はい。「一緒に住もうか」くらいは言ったかもしれないですけど。つきあいが長かったので、きちんと伝えるタイミングがなくて。なんとなく「一緒になろうか」という流れになり親御さんにあいさつに行った、それで十分かなと。結婚式も挙げていませんし。
結婚式を挙げなかったのには、何か理由があるんですか?
もちろん経済的なこともあったと思うんですけど、自分がイメージしていた”結婚式”というものを挙げられなかったことが大きい気がします。お世話になっている人をたくさん招いて感謝を伝えるという、なんとなくそんなイメージがあったので。彼女も「やりたい」とは言わなかったですし。とはいえ本当に挙げたくないという人は、そうそういないと思うんですよ。だから口に出しては言っていませんけど、「挙げなきゃいけない」という気持ちはつねにありましたね。「できていないな」という思いが僕の中でジレンマになって、月日がたつにつれどんどんデカくなっていきました。でも、なかなか実現できるタイミングがなくて。
そのタイミングがきたのが、20年めの結婚記念日です。その年に式を挙げたんですよ。自分たちの大好きな人たちを呼んでできるという、その形をちょうど作れたタイミングでした。彼女のお父さんお母さんにも感謝の気持ちを伝えることができましたし、もちろん自分の両親に対してもそうですし。あと何よりもよかったと思えたのが、子どもたちに結婚式を見てもらえたこと。これが入籍のタイミングの挙式だったら、実現しなかったことですよね。自分も妻もハッピー、子どもたちもハッピーで最高の一日になりました。夫婦にとっても再スタートというか、あらためて出発するポイントを作れたことがすごく幸せでした。
出席してくれた仲間も「考えさせられた」と。みんな結婚してそれぞれの夫婦間でいろいろあったりするわけですけど、「そうだった。自分もこんなふうに結婚式を挙げたよな」というのを思い出してくれたようなんですよ。みんなにとってもよい機会になったのかなと思います。
素敵なお話ですね! お仕事仲間では「一番早い結婚だった」とおっしゃっていましたが、「遅くてもよかったかな」と感じたことはなかったんですか?
「早い」とはいえ26歳でしたから、世間でいえばそう早くはないんですよ。子どもにも恵まれましたし、「遅くてもよかった」と思ったことは何ひとつないです。
みんなが飲みに行くのに、自分だけは……というようなことは?
ああ、それはありましたよ。行くことは行きましたけど、自分には帰るべきホームがあるという。その意識はつねにあったので、そこはみんなと一番違うところだったと思います。背負っているものがあるわけですし。とはいえそのぶん、仕事に対しての勢いがついていましたから。エンジンがひとつパワーアップしたわけですからね。それは僕にとってすごくよかったと思います。
「ほめ上手なところに惹かれた」とおっしゃっていましたが、奥さまは今でもほめてくれますか?
よい意味でですけど、すごくドライなんですよ。僕がやっていることや仕事に対して「こうしたほうがいいよ」とは、結婚して20年以上たちますけど言ったことがない。「最高におもしろかった」というほめ言葉もないですし、逆に否定もしない。ただやっていることに対しては、ちゃんと認めてくれていると思います。だからこそ結婚してくれたんだと思います。
心がほっこり温かくなる、結婚式のエピソード。おふたりはもちろんお子さんたち、出席されたゲストの方々まで幸せな気持ちになれた素敵な挙式だったのですね。
次回はいよいよ3人いらっしゃる、お子さんたちの話へと続きます。どうぞお楽しみに。
取材、文・鈴木麻子 撮影:山口真由子