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母子手帳の始まりは、戦争に勝つためだった?

※2018年5月時点の情報です。

かわいいわが子をお腹に宿し、その経過と健康維持推進のために交付される「母子健康手帳(以下、母子手帳)」。今では、市区町村によって表紙の絵柄が違ったり、内容も健診の様子から、予防接種、その後の生活においての注意点など幅広く、両親の思いを書き込む欄が増えたり……と、まさに子どものための成長記録といえるようになっています。そんな「幸せの象徴」のような母子手帳ですが、始まりは戦争に勝つために子どもの出生数を増やすことが目的だったのです。

「生めよ増やせよ」。第二次世界大戦の中、交付された「妊産婦手帳」

母子手帳の発祥はドイツの病院で取り入れられていた「Mutterpass(ドイツ語で母子手帳)」による妊産婦登録制度だそうです。1942年(昭和17年)、厚生省の瀬木三郎が視察に訪れたドイツでMutterpassに感銘を受け、日本用に改善を加えたものを導入しました。

第二次世界大戦中の日本は、子どものことを、次の世代を背負う「小国民」と呼んでおり、戦争に勝つために「生めよ増やせよ」をスローガンにしていました。しかし、戦時中は妊婦の死亡率が現在の65倍も高く、その一因が妊娠中に起こる妊娠中毒症や、早産であったため、その予防と早期発見のために「妊産婦手帳」が母子手帳が生まれたのです。

「妊産婦手帳」をもっていると、お米がもらえる?

当時の手帳は、今のように立派な冊子になっておらず、妊産婦や新生児の健康状態や、分娩状況などの必要最低限が、四つ折り一枚のリーフレットになっているものでした。妊娠中~出産の経過のケアに役立ったほか、戦時中は様々なものが配給制度になっており、この手帳を持参することで、お米や出産用の脱脂綿、腹帯用さらし、砂糖などの配給を受けることができました。また、巻末の出産申告書(現在の出生証明書に近いもの)を提示するとミルクがもらえるということで、当時の妊産婦、約70%が交付を受けるという爆発的な普及をとげたのです。

戦後、その名称は「母子手帳」へ……

第二次世界大戦後、児童福祉法が成立され、今までは妊娠~出産までしか項目がなかった「妊産婦手帳」から、小児まで拡大した「母子手帳」に名称が変わります。これによって、子どもの健康状態や予防接種の記録もできるようになり、項目も増えて「手帳」の名にふさわしい形となりました。その後、昭和40年に現在の「母子健康手帳」となり、以後はおよそ 10 年ごとに社会情勢や医療福祉制度の変化、発育曲線などの改訂等を経て、現在の形式になったのです。

母子手帳の成果は、日本の乳児死亡率に顕著に現れています。1950年には死亡率が出生1000人あたり60.1であったのが、2006年には2.6まで低下しました。(先進国でもトップクラス)現在は、日本のものを参考に、海外でも母子手帳を開発・発行している国が増えています。

また、平成23年の「母子健康手帳に関する検討会」報告書を覗いてみると、「母子健康手帳」の名称など様々な項目について議論した経緯が記載されています。

父親の育児参加を促すために親子健康手帳等への名称変更が有効との意見があったが、妊産婦及び乳幼児の健康の保持及び増進の重要性という観点から、母子健康手帳の名称は変更しないことが適当と考える。なお、父親の育児参加を促進するためには、父親にも記入しやすい欄を設ける等の工夫を行うことが望ましい

今年で74年にもなる母子健康手帳の歴史。始まりは「お国のため」であったとしても、いつの時代も「ママと子ども」を守ってきてくれました。これからも、時代の変化を取り込みながら、ママと子どもの健やかなる成長を記してくれる、世界に素敵な手帳であり続けてくれることを願います。

 

 

文・渡辺多絵 イラスト・Ponko

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