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発達障害の僕は、いじめを乗り越えた。でも周りと壁を感じ続けていた

記事提供: LITALICO(りたりこ)発達ナビ

初めまして、この記事に目を留めて下さりありがとうございます。

これを読まれている皆様は発達障害との縁が多少なりともある方だと思います。

お子様への接し方が分からない。学校などの集団生活になじめない。他人と考え方・感じ方が異なるため誤解されやすい。

抱えていらっしゃる悩みごとは様々だと思います。

そこで発達障害当事者である私が、自分の障害とどのようにして付き合い、受け入れ、いまの仕事をしているかについて書かせていただきました。

今回は、私の幼少期の学校生活についてです。

「障害」を周りの大人たちが認識したのは小学生のとき

発達障害の僕は、いじめを乗り越えた。でも周りと壁を感じ続けていた

出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=10230001026

小学生のころ、私は自分自身に障害があることを認識しておりませんでした。

私の異常を最初に気づいたのは周囲の大人達で、小学1年生のときでした。

この時期になっても未だに私だけ読み書きができなかったためです。

私は文字の形を認識することができず、平仮名が書けませんでした。

ようやく書けるようになっても、文章を書くことはとても難しかったです。

作文の宿題が出ると、机に向かって書こうとするのですが、2~3時間頑張ってやっと2~3行書けたぐらいでした。

読解については、文字を1文字ずつしか読めず、意味も理解できませんでした。

例えば「がっこう へ あるいて いく」なら「が、つ、こ、う、へ、あ、る、い、て、い、く」か「が、つこう、へある、いていく」としか読めず、単語の認識ができなかったようです。

さらに算数も、数字の意味や計算の仕組みを理解する事ができませんでした。1+1すらできなかったそうです。

自分の努力と適切な支援のおかげで、勉強ができるようになった

発達障害の僕は、いじめを乗り越えた。でも周りと壁を感じ続けていた

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私の様子を担任の先生から指摘され、手を尽くして原因を調べた母は、「発達障害」の存在を知りました。

当時はまだあまり知られていない障害でしたが、運よく発達障害を研究している機関を見つける事ができました。

そこで私に下された診断は学習障害(LD)。でもこのとき私はまだ、自分に障害があるということをきちんと認識できていませんでした。研究機関に通って母と医師が何やら話しているものの、私は内容が自分に関することだとは思いもせず、退屈だったので同じ部屋内で遊んでいました。

しかしこの診断があったことで、母は「根気よく繰り返し、できなくてもイライラせずに、できた事があれば必ず褒める」という教育方針のもとで私を勉強させてくれました。最初なかなか進歩は見られませんでしたが、学校の授業で漢字が出てきてから変化が見られました。

例えば「つき」という平仮名だけだとその意味がわからなかったのですが、漢字の「月」は三日月の絵が崩れて漢字になったという成り立ちを見ながら教えてもらうことで、漢字の形と意味を理解できました。

漢字を覚えたことがきっかけで、「文字を組み合わせて単語をつくる」ということもだんだんと理解できるようになり、これをきっかけに文章も徐々に読めるようになりました。

作文はやはりかなり苦手で、宿題はいつも母が隣で手助けをする必要がありました。

しかし、私が強く「書きたい」と思ったことについては、周囲が驚くほど筆が進んだそうです。

算数については、数を数字以外のもので視覚化する事で分かるようになりました。

例えば先ほどの1+1は、りんごを用意して実際に数える事で理解できました。ただし、文章問題は問題を読み解く必要があるため、できるようになるまでかなり時間がかかりました。

このように私は、苦手なことを他の子どもたちとは違う方法で勉強することで、学習の遅れを補うことができました。

いじめもあった。でも得意なことをがんばることで、周りに認めてもらえた

発達障害の僕は、いじめを乗り越えた。でも周りと壁を感じ続けていた

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同級生達を始めとした人間関係ですが、小・中・高のどこでも入学してから数ヶ月の間よくいじめられていました。幸い私の周りには助けてくれる大人たちがたくさんおり、大事には至りませんでした。

ただ、担任の先生は私の扱いに困っていたようで、よく怒られていたのを覚えています。でも私自身は何が問題で怒られているのかさっぱりわかりませんでした。

何が原因だったのか、はっきりとした事は不明ですが、私は授業中に逃げ出して行方不明事件になる一歩手前まで大騒ぎになった事がありました。

このように、後先考えず衝動的に行動するところが、恐らく周りから見て異質に見えたのではと思います。

このように書くと「発達障害のある子どもは学校になじめないんだ」と思われるかもしれませんが、そんな事はありません。

そして、私自身の得意分野が周りに認められたことも、同級生たちとの関係が良くなった一因でした。

小学校3~4年生のころ、クラスメイトの誕生日カードを作る宿題がありました。

私はこの宿題に夢中になり、夜中の12時頃まで絵を描き続けて、本来は作る必要のない表紙の絵まで描いたそうです。

そのとき母は「学校の成績ではあまり重要ではないことに時間を割いて…」と思ったそうですが、夢中になって完成させたカードはクラスメイトの間で好評になり、同級生たちと仲良くなるきっかけになりました(ちなみに誕生カードを贈ったクラスメイトとは、特に親しい間柄ではありませんでした)。

何かを作りだすと夢中になり、図工や美術の科目で良い評価を受けることは、その後もたくさんありました。

こういった経緯で、周りから見た私は「変わり者だが、すごいやつ」という認識になっていき、次第に同級生たちから認められるようになっていきました。

周囲には「障害は完治した」と思われた。でも自分の心の中には違和感があった

発達障害の僕は、いじめを乗り越えた。でも周りと壁を感じ続けていた

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多くの支援と私自身の努力により、学校の成績や友達関係などの問題は解決していきました。

これにより、先生も母も「学習障害は完治した」と思ったそうです。特に母は、障害に対する忌避感も重なって、私に「障害がある」とハッキリと伝えることはしませんでした。

これでめでたしめでたし…のように見えて、実はそうではありませんでした。

確かに目に見えて明らかな問題は解決しましたが、私は他人と打ち解けることが苦手で、周りとは何とも言えない壁を感じ続けていました。

例えるなら私と他人の間には常にガラスの壁があり、わかり合えず、私の声は向こう側に届いていないようでした。この壁に、長い間私は1人で悩まされていました。

「障害は完治した」という周囲の認識は、成人してからの私の生活にも大きな影響を与えることになります。

障害を受け入れた今、保護者や学校に思うこと

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障害があっても、今後も社会で生きていく以上、学校など何かしらの社会的な集団に所属しておく必要はあると思います。

でも自我が確立していない幼少期に、所属している集団で自分の存在を認めてくれる人がいないと、本人が自分を認められず、社会で生きていくことは困難になってしまうかもしれません。

ありのまま生きる姿を、「障害」としてではなく「個性」として接してくれる人がいれば、その子にしかない才能を発揮して力強く生きてくれるでしょう。

私はいじめも経験しましたが、個性の一部として周囲の人に受け入れられていたため、自分を異常だなどと追い込んだり、できないことや失敗したことを障害のせいにすることはありませんでした。

そこで、発達障害のお子さんを持つ親御さんへ、発達障害の当事者としてお願いがあります。

どうか皆さんには、お子さんの最大の理解者になって欲しいと思います。

良くいわれている事だとは思いますが、発達障害=悪いことではありません。

だから、悔やむことも、恥じ入ることも、責められることも何一つありません。悪い方向に傾くのか良い方向に傾くのか、それはこれからの行動次第です。

いじめや学習障害を乗り越えた私ですが、自分自身に障害があるとは認識しておらず、障害と向き合うことをしていませんでした。このことが将来に影響を及ぼすこととなります。

次回は私が大人になってから仕事をするにあたり、ぶつかった困難についてお話します。

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コラム出典:発達障害の僕は、いじめを乗り越えた。でも周りと壁を感じ続けていた
(by LITALICO(りたりこ)発達ナビ )